#4 教育の基礎とは ― ボーディングスクール留学
<水曜日のブログに続きます>
前回のブログで私はボーディングスクールが成熟した人間を育てることをその教育目標に掲げていることを述べました。では、ボーディングスクールに続くアメリカの大学はどのようになっているのでしょうか。
日本であれば、高校での学習は、大学進学のための準備ということが、学校理念と並行して機能していて、その核となる学習はあくまでも暗記作業にあります。日本の場合、授業というのは、試験に出ることを中心として生徒が学ぶために、彼らの意見を表明したり、それをもとに人とコミュニケーションをしたりする授業というのは、盛んではありません。
そのような授業をすればするほど、受験準備から遅れることになり、その評判はたちまち広まり、生徒減という学校経営にとっては、致命的な結果になるでしょう。
成熟した社会人になるためには、ものを知っているよりも、自分がどのような人間かを相手にわかりやすく説明ができ、相手の意見を聞くことができて協調性があることは必須ですが、日本の高校においては、高校の良し悪しは、偏差値データに集約されており、その数値に基づいて学校選びをすれば、ほぼ間違えない結果を得られると信じられています。
日本の中学、高校生はとにかく我慢を強いられるといっていいのではないでしょうか。
学校生活の楽しみをどこに置いたとしても、必ずやってくる受験勉強を甘んじて受け入れない限り次の段階に進むことができません。スポーツ、音楽、芸術などへの興味は受験ピーク時には、ひとまず封印して最低でも1年間が暗記に終始しなければなりません。そのような学習慣習が100年以上に渡って日本では続けられてきました。そして、その流れは一向に変わる気配はありません。
アメリカの大学、特にリベラルアーツ系の学校は、ハイスクールとしてボーディングスクールが数倍から10倍くらいに拡大した規模というのが、妥当な表現であり、学校の規模が拡大した分、学習内容もその資源も拡大します。そして、最も重要なのが、教える側と教えられる側の人間関係ですが、教授と学生の関係はとても親密であり、そこで学ぶ学生たちの生活の場は、学校とそこにある寮であることもボーディングスクールと全く同じです。
つづく