地方の若者意識と世界
九州からアメリカに留学している生徒のお世話が四年目になります。
現在、アメリカボーディングスクールの十一年生、日本でいえば高校二年生、
三年生になった途端にAO入試の進学準備が始まるアメリカの高校生にとって、高校二年生の成績は進学のための成績構成では、もっとも重要な学年です。
一年を二期に分け、さらにそれを二分割して学校から成績表が
送られてくるのですが、その解説は私の仕事です。
成績の解説は三十分程度で終わるのですが、トラベル好きのお母さんから
国内外のいろいろな情報をいただき、また私も意見を述べます。
お母さんのコメントが、私にとってはとても画期的であったので、
ご紹介させていただきます。
お母さんの知る限りでは、地方の若者は内向きで東京、大阪などの
都市に出たがらない人もたくさんいるそうです。
情報も、生活に必要なものも、余暇を楽しむ場所もその地域で
まかなえる時代です。
頻繁に東京に出かけることのあるお母さんは、
「(あえて)都会文化を知らないほうが、幸せかもしれない」と言いました。
もちろん、地方が抱える人口減、大手量販店の地方進出による小売店の
衰退など、地方におけるネガティブな社会現象はあるにしても、
若い世代が以外と都会を意識していないことが、私には驚きでした。
東京に職場を置いていると、地方で暮らす人たちの意識の実感がありません。
その意味では、お母さんからの生の声に刺激を受けます。
若者の内向き志向と言われていますが、
その根源はどこから来ているのでしょうか。
パソコンひとつあれば、世界のどこにいても、情報収集には困りません。
自分の興味のあることも情報は、自在に手に入ります。
また、携帯電話があれば、場所を選ばず必要な友達とも自由に話せます。
ほしいものは、ネット通販でおおよそ入手もできます。
当然のことながら、若者の「内向き」志向は、日本のみならず、
先進国においては、共通の社会現象であることは、間違えないと思います。
ものも、情報も今の世の中、溢れかえっています。
私は、アメリカや日本が追い求めてきた、「ゆたかで便利」な社会が
今、具体的な結果となっていると思います。
これが当たり前となっていることに、時々私は疑問を感じます。
豊富なものや情報を私たちは実際どれだけ必要としているでしょうか。
余ったものはどうなるのでしょうか。
10代の若者にとって、海外での生活は情報面および、「もの」に関して、
とてつもなく、不便であり、当初はその「質と量」の点において、
かなり貧しくもあります。なおかつ、求めなければ、与えられないという、
本来の生活の原則が海外での学生生活においては成立します。
地方からあえてアメリカに一足飛びにわが子の生活の場を変えた、
お母さん(もちろんお父さんも)の意識のなかに、
足るを知って自己を見つめるという直観があったことは間違えないと思います。