ボーティングスクール - アート系の教育 2
18日のブログでボーディングスクールの情操教育について
言及しました。彼らの基本として、個人を認めるということ、
まずは、悪いところを是正するよりも、良いところを探し、
認め、伸ばすということを私はあらためて、ボーディングスクールの
特長として、認識しておきたいと思います。
世界のボーディングスクールには、
私の知る限り明確な共通点があります。
・1クラスの人数が15人を超えないこと、
・授業終了後、午後の時間を生徒が活用できること
・ひと月に1度以上、必ず週末イベントがあること
・生徒の話をじっくり聞く先生がいること
・生徒の個性を大事にすることを実践できる設備があること
教育の原点に戻れば戻るほど、
私はボーディングスクールの教育に賛同できます。
そして、その魅力をより追求したく思います。
一方で私はボーディングスクールでない教育も
自分の仕事の範疇に入れています。
ニュージーランドでのホームステイがそれにあたります。
どうして、アメリカ、カナダ、オーストラリアでなく
ニュージーランドかは、改めて詳しくお伝えする機会を
持ちたいと思いますが、異文化での教育機会を生かすためには、
絶対にそれを受ける人のこころの器量が必要です。
10代という若い年齢の人にとってこころの器量とは、
学習によって得られるというよりは、
すでにある程度方向づけられているいわば生き方のようなものです。
異文化のなかでの教育システムとそれを受ける側のこころが
うまくかみ合った時に、お互いの満足度はとても高いものになります。
初等、中等教育での学習を私たち、おとなは当たり前のことと思っていますが、
受ける側にとって、教育の内容と伝え方によっては、
勉強はとても退屈であり苦痛なものだと思います。しかし、
あまりにも日本では義務教育が社会に浸透しているが故に、
あえて、子どもたちに勉強がつまらないものなどという
おとなは極端なマイノリティーです。
そのような環境のなかで、子どもたちは本音として、
「なぜ勉強するの」という疑問をこころの奥底に持ちながら、当たり前に
毎日通学しています。
習いごとは勉強という幹に派生する枝葉のごとくにとらえられていますが、
音楽、芸術、スポーツの習いごとのなかに子どもたちが心底集中できて、
なおかつ楽しめることがあると考えるのは自然なことと私は考えます。
好きなことを、やりたい人に、やりたいだけ提供するという
英語圏、とくにボーディングスクールの考え方は、
徹底されていると思います。
今週は、英語圏の学校のアートに対する取り組みを中心に、
考えてみたいと思います。
つづく