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留学物語-父は東大ぼくはニュージーランド その6

(その5:5月21日掲載)
ぼくの友達は個性的、はじけてる、義理人情にあついとぼくは思っている。そして、彼らに裏切られたという記憶はない。もちろんぼくも彼らを裏切ったことはない。裏切るということは、彼らをさしおいて自分のことを優先するということだと思うけど、ぼくは彼らにとても関心を持っていて、彼らと価値観を共有できた。生きる価値観なんて、大げさだけど、彼らは自分の生き方を人に押しつけない。そして、自分の生き方を説明することもない。
友達はそれほど多いわけではなかったけど、地方からやってきた二人の友達と良く遊んだことは忘れられない。二人とも東京から遠く離れた地方の出身で、頭脳明晰で賢く、頭の回転も速かった。かれらは寮にいたが、その監視をすり抜けて夜の街に飛び出すことくらいは彼らにとってはたいして難しいことではなかった。
遊びにお金はいらなかった。お金のかかる遊びなどぼくたちにできるわけがない。親を騙してお金を取り、それを遊びに使うということをぼくたちは考えもしなかった。ただ、お互い学校が終えた後、どこかに集まり、コンビニの前でだべったり、人ごみを放浪するだけであっという間に時間が流れた。進学校での勉強と先生たちから背を向けることがぼくたちの自己主張であり、自己確認でもあったと思う。それが当時のぼくにとっては充実した時間の過ごし方だった。ぼくたち3人は時々、それぞれの違った友達を遊びに誘った。友達の輪は大きくなったり、小さくなったりした。でもすごく楽しかった。
三人の遊びは長くは続かなかった。高校では、ほとんどの生徒が大学受験に向かって一直線に進んでいたけど・・・。
―ぼくたちは大学受験という大波の上でサーフィンをやっているようなものだった。大波、小波の上を自分の思ったように乗りまくっていた。波乗りはしても、波に飲み込まれることはない。いままで何回も転倒はあったが、難なくボードにもどり、波をやり過ごし、次の波に向かってパドリングをした。
だが、ついにぼくたちは大波に飲み込まれた。いままでにない大きな大きな波に、わくわくしながら向かっていったが、あまりに大きな波の落差にバランスを失い転倒した。ボードとぼくたちは波にふっとばされた。ボードにしがみつくことなどできずに波に翻弄された。ぎらぎらと光る太陽は海中から見えてはいるが手足の自由がきかず、いくらかいても水面に出られない。息が苦しくなり、もがき苦しみ意識がなくなる寸前に、たくましい腕がぼくたちをつかんで引き上げてくれた。息を吸い込み咳き込みやっと落ち着くと目の前に両親がいた。
二人は喫煙をきっかけに退学を余儀なくされ、学校を去っていった。三人の和がなくなってしまった。彼らがいなくなってしまった。そして、ぼくは遊ぶことすら楽しくなくなった。
両親はぼくに留学をすすめた。でもぼくにとって海外での勉強というのは、親と一緒ということしか考えられなかった。
つづく

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