日曜コラム - 母のおもい
予期せぬ地震で私の二男の大学卒業式は中止となり、
卒業証書は各自に渡されました。そして、彼は4月を待たずして静岡にある
会社へと旅立ちました。
個人的な事由で恐縮ですが、二男は子どものころから虫が好きでした。
虫への好奇心と興味は成長しても衰えることなく、大学時代は蜜蜂研究会という
サークル活動を行い、結局蜜蜂を扱う会社に就職しました。
日本古来の養蜂は中国産の安価な蜂蜜の輸入により、
その市場は縮小しているようです。
しかし、彼の大学の文化祭では、日本産のはちみつの売れ行きは好調で、
彼は文化祭が近付くと岩手県にはちみつを仕入れに出かけたりしていました。
彼の幼少期、じっと虫たちを見ている姿がふと目に浮かんできます。
親ばかである私は、二男の就職決定の前に彼が希望するみつばちを扱う
会社の副社長さんとお会いしました。
そして、息子のことよりも、日焼けした副社長さんのみつばちにかける
おもいに感動しました。
会社の規模や安定性ではなく、自分がこころから好きなことを仕事にする、
私が社会に出る息子たちに望んだことはこれだけでした。
就職に関しては、既存の事実に受け身になるよりも、好きなこと一点に集中して、
「自分で変えるという気概を持て、必ずできる」と息子に言いました。
3月21日、春分の日に息子は静岡に行ったのですが、
家内はついて行くと言いました。
「もう、雄紀(息子の名)に任せろ」と私が言うと、
「あなたが大阪に行ったときはどうだった」と切り返されました。
確かに前職で大阪に単身赴任の時に家内についてきてもらったことを
思い出しました。
結果的には副社長さんからの電話で、
「受け入れ準備はこちらで整えてありますから」ということで、
息子は一人で旅立ってゆきました。
自分を客観視することは難しいことですが、父親というのは観念的であり、
母親は現実的であると感じます。より拡大していうと、
男・女一般に当てはまる概念のようであります。
これはグローバル時代にも通用する概念かもしれないと私は思います。
息子の独身生活、二日目「雄紀はどうしてる」と家内に聞くと、
「腰がいてーだってよ」と言い、「まだ、雄紀が家にいるようだよね、
出て行ったとは思えない」と家内は言います。
今週末、家内は私に「さっき、雄紀に電話したらね、『肉じゃが作ってる』だってよ、
あんたよりマシだね」
母のおもいは生涯変わらず、いつでも子どもたちのことは頭にセットされていて、
いつでも困った時は観念でなく「現実」として何かをする、そんな母はとても強く、その精神は人間がこの地球に存在する限り不変かもしれません。