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これからの日本の教育 - 5教育の現場で

日本の先生方が背負っている「(模)範」をおろすと大変楽になると思います。
正解を知らなければならない、出さなければならないということから
開放され、「なぜ」という疑問から原点に帰れば、あらたな道が拓かれると
私は考えます。
学問全般はやればやるほど、もしかすると加速度的に
その世界が拡大するという性質を持っていると私は思います。
学びだすとキリがありません。
私は44年間、英語とかかわっていますが、
わからない単語はあとからあとから出てくるし、
口語、文章表現など私にとっては無限の廣野の感があります。
だから英語が嫌になるかというと全くその逆なわけです。
私は教える側の人間ですが、自らの経験を通して、子どもたちに英語を
嫌いになってもらいたくないと願っています。
好きになれとは言いませんが、これからの生活に必要なツールだから、
「最低限は持っていたほうがいいよ」という気持ちを伝えたいのです。
今月、21日のブログ、「英語教育に求められるもの」で言及しましたが、
ある英語の先生のクラスを訪問させていただき、先生方の担っている「範」が
私にはとても重くて、大変な意識だと感じられました。
たとえ、先生がうまくニュージーランドの先生とやり取りができなくても、
それは大きな問題ではないと私は思っています。
主人公は生徒なのですから、彼らとニュージーランド人を
直接結びつけることを、演出できればよいと考えます。
その過程で先生がちょっとコミュニケーションでつまずいたとしても、
「それでも先生になれる、諸君安心せよ」などと、うそぶいたほうが、
子どもたちも楽しく、英語に接することができるのではないかと思います。
生徒たちはおそらく解っているのです。
先生の専門的技量、考え方、性格などお見通しなのだと思います。
ある会社経営をされているお父さんが人の器量を「一瞬で見抜く」と
言っていましたが、私は10代の子どもたちにもその感覚があると
思います。大人と彼らの違いは、見抜いてはいても、
「言わない」のだと思います。
彼らが先生に求めているのは、「正解」ではなくて、
教えることへの愛着とか、内容への興味とか、ひいては先生はどう思うかといった
人とのふれあいなのではないでしょうか。
「こうあるべきだ」ということよりも「ともに考え、ともに伸びよう」といった
つながりが彼らの求めている「精神」のように思えます。
日本のみならず世界がインターネットで瞬時に結びつくグローバルな時代です。
先生が「正解の解説者」という価値観は私が学生だったころはメジャーでしたが、
今は生徒自身が正解はいろいろな経路から入手できます。
個性、多様性の尊重という教育方針は先生の精神が「楽に」なり、
素直なオープンマインドがなければ、とても現代の子どもたちは納得など
しないのではないかと思います。

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