アジア圏の人々
アジアの国々のアメリカ、イギリスのボーディングスクール教育熱は
日本の数十倍高く、韓国、中国のボーディングスクール志願者とその家族は
志望校への入学のため大変な苦労をしているようです。
何度かブログでご紹介しましたが、JFケネディの卒業校で、アメリカ屈指の
難関校、チョートローズマリーホールに20人以上の韓国からの留学生が
いると聞くだけで、韓国のファミリーのアメリカ教育志向と
その熱心さが伝わってきます。
中国語圏の人たちとのコミュニケーションを私は苦手としません。
むしろ話が直接的でわかりやすい。中国語と英語というのは語順だけでなく、
形成された社会的文化背景も共通のところがあるのではないかと思うほどです。
逆の立場で考えると、「空気を読む」という日本の相手の真意と発する言葉の
間にあるギャップを理解するということが、異文化の人には難しいようです。
「日本の人たちは『アー、アー』と言いますが、それがYESの意味なのか、
NOなのかの判断が難しい」とある中国特別行政区(香港)で
仕事をしている、中国の方から聞きました。
「アー、アー」に意味はないと私は思います。
ひいていえば「聞いていますよ」という相槌だと思います。
意識したことがないことが異文化の人には気にかかるのかとも思います。
話の段落ごとにYESかNOかと質問をすることも憚られるというか、
それでは話の流れが断ち切られるだけでなく、相手にどう取られるかという
印象まで変わってくることを考えると、インターパーソナルな
コミュニケーションというのはやっかいなものかもしれません。
「日本人はわかりにくい」という気持ちが、より一層「わかりにくい」人々
との話を難しくするのではないでしょうか。
私が中国圏の人たちとのやり取りで困らないのは、
コミュニケーションに大きな問題がないからです。
日本語、あるいは英語で話すにしても、細かい表現はとにかく、
大筋で話がくい違ったり、理解不能になるといった経験はありません。
私は教育のコンサルタントですから、その人たちとのコミュニケーションは
彼らの子どもに関連します。
親子の関係、子どもの性格や社会性、学校関連では支払いや許可願いなど、
すべての情報のやり取りは子どもと親の願いを叶える方向に向かっています。
教育の方針さえ共有できれば、相手がどんな文化を持っていたとしても、
私は困らないどころか、新たな発見があり、当世風にいえば、
純ジャパでないファミリーにグローバルな視点を見出せる思いがします。
そして、彼らはほぼ例外なく、英語を理解します。
私の知っている中国語圏の人が数百人いるわけではないので、
数十人の方からその文化を類推することはいささか気が引けますが、
子どもを対象として親がいずれの国の人でも、その愛や関心を
分かち合うことほど、素晴らしいことであると思っています。