中学・高校留学-無人島での15歳5:空白
「留学は慣れてきた頃が一番怖い」、あるお母さんは私に言いました。
慣れて気が緩むから渡航時にパスポートを忘れるとまでは言いませんが、
諸事慣れても謙虚さと素直さが欠けると失敗を招くと思います。
今週のテーマ、「無人島の比喩」における、無人島の状況としては、
役割分担が確定して、それぞれの子どもたちが
機能し始めている状況です。
それなのになぜ「空白」なのでしょうか。
子どもたちの価値観が「偏差値的学力の優位性」から、
基礎教育でもっとも大切な「ありがとう」の精神に
なりつつあるのになぜでしょうか。
彼らにとり自分の置かれた環境が鮮明に理解できればできるほど、
また、日常としての学習が余儀なくされる。
英語というハンディがある分、日本よりも学習負担は重く、
テストの点数で体勢が決まる日本と違って、
生活そのものが「管理」されているとも言える環境に
重苦しさを覚える時期があっても不思議ではありません。
では子どもたちは「精神の無人島」を去るでしょうか。
ギブアップして、「タイムマシンよ、来い」と叫ぶでしょうか。
これは私の空想ですが、いずれの時代の子どもも結局は
無人島に残ると思います。
「なぜ、そう空想しますか」と皆さんは問いますね。
それは今週のブログの最初でご紹介したように、
100人のうち、途中で帰国する子どもたちは断然少ないからです。
大人の視点で見れば空白など人生では当たり前の話で、
この空しさも孤独と同様、子どもたちが解決すべき
成長過程の素材であるからです。
彼らに氷山の一角ともいえる「空白」というこころの状態に
水面下の大きな「自分」があることを教えることが、
教育の義務であると思います。
「どうやってそれを教えるのですか」とお母さんは質問します。
こんなとき先生たちはYou’ll be all right.といいます。
「大丈夫だよ」ですが、「なぜ大丈夫なんですか、
そんなの、口だけじゃないですか」と反論されそうですね。
「それよりも、教師として学習指導はどうしているのですか」
これは私の仮想質問です。実際は30年のコンサルタント生活で、
このような質問を受けたことはありません。
私は迷ったときはいつも原点に帰ることにしています。
そこでいつも再発見するのは「スマイル」なのです。
空しさを感じたときにYou’re OKといわれて、
「口だけじゃないか」と考えるか、
「ありがとう、うんやってみる」となるか。
言葉でなく彼らの笑顔を思い出すのです。
勉強というのは、人にやってもらうことはできません。
そして、ほとんどの作業が自分の好き勝手なものではなく、
決められた手順や課題に従ってやるものです。
それを繰り返し、覚えこみ、使えるようになって身につくものです。
「なぜそうするのか」という空白の主の問いかけに、
まともに答えうるのは、作業主の本人に対してその人格を
信頼している人です。
10代の子どもたちがこころから求めているものそれは、
「わたし(ぼく)は大丈夫?」という素朴な疑問に
人との比較でなく、世間の目線でもなく、家族の文化の代表者として
「大丈夫」といってあげられることではないでしょうか。
留学がなぜ魅力的か、私は子どもたちがこの空白を早期に体験し、
その答えを親のみならず、異文化の人たちが出してあげられるという
ところにあると確信しています。