小・中・高校留学-人のつながり
あるお母さんが私に「斉藤さん、私はひとはみな繋がっていると思います」と
言われました。私もその通りであると思います。
私たちはその社会の中で複雑につながりあって生きていると思いますが、
私は子どもたちとのつながりという視点で考えてみました。
もちろん、その原点に教育があります。英語の課題に取り組んでいる生徒に私は、
-君は英語が得意でないから、エッセイを書くのも大変だねえ。
こんなに英語が大変なことがわかっていたら、留学はしなかっただろう
「はい、それは僕がお母さんに言ったことです」
-しかし、さいはなげられた。もうやるしかないね。
「そうですね。やるしかありません」
-君よりも私は少しは英語ができるかもしれないが、
それでも英語は難しいと思っている。
「斉藤さんでもそう思うんですか」
-そうだよ。でも、取り組んでみると、結構ためになっているよ。
「そうですか。オレもここまで来たから、結果をだすまでやります」
-それが男だ
アメリカのボーディングスクールにわが子を学ばせたかったお母さんがいました。
故あって、他国に留学しました。
「斉藤さん、アメリカのボーディングスクールにやらせるべきだったでしょうか」
-お母さん、それは今後において可能な選択です。ある条件を満たせばよいのです。
「えっ、それはどうゆうことですか」
-ある条件とは、「動作主」である本人とつながることです。
親だから「無条件で子どもとつながっている」と考えてはいませんか。
それは、親の理屈にしか過ぎないと思いますよ。
お子さんの損得感情を見つめてあげてください。
お子さんが何を求めているかを、お母さんが「本気」で知ろうとすれば、
かならずあらたなつながりが生まれます。
私たちの世代の「親子」の常識と、
今の子の世代の「親子」のそれは違います。
昔は、親が子どもに責任を持ち、その担保として常識的に子どもの
「服従」があったと思います。今は、その常識が変わっていると思います。
それは、日本が豊かになって「個人の権利」が増大した結果だと思います。
豊かさと便利さは違うと思います。
便利な世の中で、肥満が社会問題になるなかで、どんどん精神が
やせ細っているんじゃないでしょうか。
「家庭」という概念も変わってきました。
DV、育児放棄、幼児虐待などのニュースが日常になっている。
新たな世代の親の意識も変化していると思います。
子どもの意識も変化して当然ですよね。
お母さんが求めるボーディングスクールは物理的なものです。
そこに導くため、新たな精神のつながりを取り戻すために
「教育」が存在していると言ってもいいのではないでしょうか。
今は、本人の留学生活をお子さんを信じて静観しましょう。
「斉藤さん、私の教育は正しかったのでしょうか」
-お母さん、自信をもってください。本人はそんなお母さんになってもらいたいと
望んでいると思います。わが子のspecialityを信じてください。
彼女を変えるためは、お母さんが変わるしかありませんから。
ボーディングスクールを押し付けても、誰も得をしません。
お母さんと彼女のつながりが変われば、自然にそうなります。
私は精神のつながりは無限ではないかと思うようになりました。
お母さんのわが子に対する希望はかならず実現化すると思います。