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#5 教育のルーティーンを変えてみる ― Final 

<前日のブログに続きます>
日本と英語圏の教育、その目指すところの価値観の違いについて教育のルーティーン(日常)の違いを中心に考えてきました。昨日は、日本の中学、高校で難関と言われている学校の生徒たちが受験に対して周到な準備をしていることが彼らの日常であり、その結果としての進学先が社会から評価を受けるというところで終わりました。
ボーディングスクールにおける、受験対策のルーティーンはSAT(アメリカのセンター試験:英語と数学、作文の学力試験)の点数を上げることではありません。難関ボーディングスクールになればなるほど、SAT対策は生徒個人に任され、学校が主体的あるいは積極的にそれに対応する時間を設けることはありません。
日本とは格段に違うその教育のルーティーンは私たちの中等教育のスタンダードからすれば、驚きに値すると言っていいと思います。
彼らは日々の授業をとても大切にします。そのような学校の姿勢を先生も生徒たちも当然理解しています。また、大学側も高校での学習を最後まで尊重します。アメリカの大学の合否は9月入学に対して3月に決まりますが、決定後、3か月間の高校での学習成績がC評価を下回ることがあると、合格取り消しということが実際に起こります。
アメリカの場合、最終的に大学受験で求められるのは、受験者という個人の学習に対する人としての姿勢なのだと思います。大学の受験難易度にかかわらずこの姿勢は一貫していると私は思います。それ故に、SATの結果をもっては、到底合否が判断されないのです。受験者も大学側もSATはあくまでも学力水準を確認するもので、たとえばアイビーリーグの大学で学びたい生徒は、高校時代にしっかりそれぞれの科目に取り組めば、SATにそれが反映する(ほぼ満点です)ようにつくられているのです。
生徒の資質が総合的に評価されるという点では、日本の受験よりもアメリカのほうが評価基準が曖昧であることは間違えないと思います。
結局、その曖昧さを偏差値という基準でなく受験者も受験をさせる側も受け入れているのが英語圏の進学事情であると思います。偏差値とは、「学力」という物差しを基準にした本人の評価です。その偏差値がないということは、学力だけではなく、その人の考え方を尊重するということです。もちろん、考え方に正解も不正解もありません。だから、その捉え方は基準がないと言ってもよく、公平性に欠けることにもなるでしょう。それでも、選ぶ側の主体性を尊重するのが、アメリカおよび英語圏の教育文化といえるでしょう。
教育に「絶対」はありません。しかし、世界の教育文化がこれからより交流を深め、お互いの良い所を取り入れることによって、教育のルーティーンが向上することにすこしでも貢献できればと思います。

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