#2 ボーディングスクール-コミュニティーという考え方
<前日のブログに続きます>
ある日本のお母さんから小学校のボーディングスクールへの留学相談で、「ボーディングスクールの近くに塾はないのですか」という質問を受けたことがあります。それほどまでに日本の初等、中等教育においては、学習技術習得が徹底されているのかと驚きました。
塾、家庭教師、予備校といった学校外の学習技術習得施設やシステムは、英語圏の国にはありません。必要がないからないわけですが、なぜ必要ないかというと、初等から中等、中等から高等教育機関に上がる際の選抜方式の根本理念が異なるからだと私は確信します。
日本の大学入試において共通一次試験が作られた背景にアメリカのSATがあると言われていますが、これは表層的な類似性としか言えません。なぜならば、日本の共通一次試験と呼ばれていた試験は、生徒の学力を数値化して選抜するためのものですが、SATは選抜ではなくて、数学、英語の基本的な学力を問うという考えから生まれているからです。
ですから、アイビーリーグなど入学難易度の高い学校においては、SATを生徒選抜のために使うことはナンセンスであり、もちろん選抜する側はそのことを熟知しています。一方で日本の共通一次試験というのは、生徒をふるいにかけるいわば手段として用いられています。共通一次試験という名称がセンター試験に代わってもそのコンセプトが変わっていなければ、結局同じことです。
日本の受験システムを良く知っているあるお母さんから聞いたのですが、日本の難関高校で行われている教育は、後期中等教育で定められた教育をなるべく早く終了し、残った時間を例外学習に費やすのだそうです。
英語に関してですが、例外学習を考えてみると、たとえば受動態の進行形の作り方、仮定法での例外規定、現在完了の未来進行形などとなると思います。すなわち、日常の生活においては、使いもしないし、必要でもないような表現です。そんな「例外的な知識がどうして必要になるかというと、生徒を選抜するためにあえて難しくするということになるのではないでしょうか。
そのようなかたちで選抜される生徒は疑問を抱きながらも、「受験」に望まなければならないのです。
ボーディングスクールのコミュニティーに入った日本の教育を受けた生徒が戸惑いと驚きのカルチャーショックを受けながらも、結局はその生活に愛着を持つようになるにはそれなりの理由が当然のことながら存在すると思います。
つづく