日曜コラム アメリカで起こること、日本で起こること
アメリカで起こることは日本でも起こると私は思っています。
たとえば「ジェンダーフリー」(デジタル大辞泉 – 性による社会的、文化的差別をなくすこと)です。
30年ほど前、1980年代半ば、私がコンサルタント成って、
数年してシアトルに出張した時、道路工事を示す標識に、
Flag man aheadでなく、Flagger aheadとありました。
それを評して、男性の英語学校の先生が、「余計なことをする」と
言ったのがとても印象に残っています。
ジェンダーフリーの発想は日本にももたらされ、これからの世代は、
看護婦さんやスチュワーデスという単語はなくなるでしょう。
同じ時期に、ペンシルバニア州、フィラデルフィアに出張しました。
映画ロッキーの舞台になったところですが、
空港で出迎えてもらい、街を通り過ぎて女子大の名門、
ブリンマー大学(Bryn Mawr College)を訪問した時、
そこで留学生に英語を教えていた先生は、
「昔は、製鉄で有名だったこの街も、今はそれが保険、証券などの会社に変わってしまったよ」と言っていました。
日本でも同じように、東京周辺の工業地帯は、すでに外国に引っ越しを
してしまっています。
アメリカでは、そこ頃から「イクメン」など当たり前でした。
私が留学時代、ホームステイをしていた家庭は、
お母さんと子どもの2人暮らしで、私は週に2-3回、小学校2年生の
クリストファー君のバイオリンの練習を「管理」するのが役目でしたが、
ある日曜日に、キッチンで奥さんのボーイフレンドがなんと、
小さな今のテレビをそこに持ってきて、料理をしていました。
当時の私は、その光景にとても驚きました。
離婚率の高さ、女性の社会進出、雇用機会の均等、
そして外国人労働者の多さなど、数十年たって、日本もアメリカ社会と
同じラインを踏襲しているように思います。
ところが、教育の世界では、アメリカのものが入って来ません。
少人数制クラス(1クラス15名以下)、ディスカッション、スピーチクラス、
リサーチなど、生徒自らがアクションを起こすような教育がないのです。
すでに、アメリカでは、インターネットの活用は学校での必須事項です。
すべてのボーディングスクールでパソコンは生徒必携であり、
おそらく三分の一程度の学校が、生徒にパソコンを支給しています。
アメリカで起こることは、日本でも起こる。
私は、アメリカの教育界で起こることは、日本の教育界でも起こり得る、
ということを少しでも実践するために、微力であろうとなかろうと、
これからも努力をするつもりです。