教育のパラダイムシフト 11
<前日のブログに続きます>
前日のブログで、ボーディングスクールと日本式の教育では、学習基礎の考え方が180度違っている旨、述べました。その内容について補足します。
暗記と反復練習というのが日本の中等教育の基礎ではないかと思います。一言で言えば、知識が問われます。それに対して発想力、想像力、発表、自己表現、議論などがボーディングスクールの教育の根本をなすものです。それが、ボーディングスクール発足当初からそうであったのか、あるいは時代の変遷とともに第二次世界大戦後に確立されたのかは定かではありませんが、現在のボーディングスクールは、アメリカ、イギリスを問わず、個人の特性を伸ばすことに中心を置いた教育をします。
この二つの異なる教育特性は、それぞれの国の文化、すなわち国民性も反映されているのではないかと思います。日本の試験制度を辿ってみれば、科挙にまで行き着くのではないでしょうか。また、日本のみならず、韓国、中国、そしてアジアの国の高等教育選抜方式は試験重視傾向が強い故に、学校とは独立した学校外補習学習機関がアジアの国々ではビジネスとして定着できるのではないでしょうか。
それに反して、英語圏では国民性として個人が日本よりも重視されます。個人重視の傾向は、試験結果のみではなく、多角的に受験者を評価したいという傾向に結びつきます。それが試験結果重視の合否判定よりも効率が悪く、時間、手間、そして費用がよりかかることをボーディングスクール関係者は当然理解できないわけがありません。それでも、泰然として彼らが受験方式を変えようとしないのは教育文化のちがいとしか言いようがありません。
余談ですが、わが子をハーバード大学に入学させたいという親が日本にいたとします。そのための傾向と対策を綿密に立てて幼少時から「日本で」そのラインに載せようとしたとします。総合的な英語力を小学校から訓練させるとともに、数学力も並行して鍛える、そして結果的に成績抜群で英語力がある生徒を養成し、ハーバード大学への現役合格を勝ち取る。
私はこのような構図は日本あるいはアジアの教育文化でしか育たないのではないかと思うのです。
いわゆるアカデミックな要素が尊重されすぎていて、それ以外の個人の特性を伸ばすような要素がボーディングスクールと比較すると極端に少ないのです。英語圏の教育文化を知らずに、日本式受験プログラムをハーバード大学に適応するのは、不思議としか言いようがありません。
つづく