日曜コラム 偶然と縁
昨日、たいへん懐かしい人からメールをいただきました。
かれこれ30年ほど前に留学をお世話した人からのメールでした。
皇居(周囲)をジョギングする私を偶然に見かけて、メールしたそうです。
その人は留学後結婚されて、ご主人が東京の靖国神社の近くで、
和食のお店のメーンシェフとして活躍されています。
お店と皇居はそれほど遠くありませんから、そのような遭遇となったのでしょう。
彼女によると、JRや地下鉄で私の前職のコンサルタントとばったり会ったそうです。
彼女が帰国して、ずっと会わなかったわけではありませんが、
おそらく最後に合ったのは10年以上も前になります。
それでも良く、ジョギングする私が認識できたと感心しました。
さっそく私は返信しました。
「では、ご主人も一緒に皆で皇居をジョギングしましょう」
その1日前に、都内の大学に勤めているもと留学コンサルタントと
オフィスで会いました。
大学に在学中の留学生の国際交流に関する質問でしたが、
仕事の話はさっさと終わらせて、昔話に花を咲かせました。
彼女は帰国子女で仕事の処理能力がとても高く、有能な人でした。
今でも、大学の国際交流部門で活躍されています。
コンサルタント時代と比べて、残業が一切なく、仕事の内容は
アカデミックなものであるので、とてもやりがいがあり、幸せだそうです。
さらに数日前には、ある生徒からメールをいただきました。
この人は、大学生なのですが、3年前にご縁があって、
英語の勉強をたまに見ていたのですが、日本の大学生になり、
留学を考えているので、そのアドバイスが欲しいのだそうです。
ジョギングする私を見た人は、
「斉藤さん、ちかごろ偶然が多いのですよ」といっていましたが、
私は人の出会いはすべて必然ではないかと思っています。
そのほうが、納得できます。
必然として受け入れることで、より主体的に考えられます。
そして、自分に関しては、起こることが予期できるのではないかと思います。
偶然に支配されると、受け身になりがちです。
そして、その事象と自分との関連性がありません。
関連性をいろいろと想像したり、考えたりすることで、
ものごとが進展することもあるのではないかと思います。
それを、私たちは「縁」として昔から尊んできたように思えます。
この縁の発想は、英語圏では日本よりもはるかに薄いように思います。
多くの皆さんの留学がお世話できるのも何かの縁があるからです。
その縁を大切して、尊んでコンサルタントの仕事を続けたいと思います。