答えを探し出す - 小中高留学
「答えは与えられるものではない」というのが、英語圏の教育の根本にあります。もちろん、基礎知識の部分においては、単語を覚える作業や、英語の文法、語法などを記憶するという単純作業はあります。しかし、日本の英語学習がもっぱら解釈を中心に行われ、社会や理科などは、覚える範囲がやたらと多いのに対して、英語圏の勉強では、君はどう思うか、君ならどうするか、などの仮説を多用します。そして、その根拠作りとしてのリサーチ(調査)や研究が課せられるのです。
「答えは与えられる」、あるいは「答えに至るまでのプロセス」がかなり正確に決められることの多い日本の場合、一定のマニュアルに沿って学習すれば、その成果は明確に得ることができると思います。しかし、そのマニュアルには、自分の考えが求められることはありません。
したがって、日本史などの学習は、重要年代を中心にひたすら事件、年代、中心人物、事件の特徴などを覚え込む作業が必要となります。好むと好まざるとにかかわらず、この作業がこなせなければ、試験の結果は悲惨なものになります。それがどれだけ退屈かなどということはできません。それすなわち、落ちこぼれることに直結しかねないからです。
かくして、日本のいわゆる受験生たちは、段階的に覚え込む量を増やしていき、大学に入った途端に今まで積み上げてきた学習のハシゴを、すぱっと外されるわけです。覚えることが大部分を占めてきた学習から、いきなり創造的学習に切り替えるといってもうまくいかないのが当たり前です。また、覚えることに徹してきた結果、応用的な発想や自らの考えを求められても、うまく表現する方法などは、勉強していませんから、ゼロからのスタートとなってしまいます。
英語に関して言えば、中学高校と6年間もかなりの時間を割いて、学校で勉強し、その結果が他のどの科目よりも重視されるにもかかわらず、大学を卒業しても英会話もまともに出来ない理由は、英語学習の目的が、受験という特別な分野にセットされているからにほかなりません。それをおおよその人は認識しているにも関わらず、日本の英語教育はドラスティックには変化することはありません。これからもないでしょう。
では、TOEFLやTOEICといった英語試験を、受験に採用すればどうかということですが、おそらく、うまくいかないでしょう。なぜならば、試験の目的とするところが、日本の受験生には合致しないからです。
つづく