留学コンシェルジュ

教育の行方 - 2

<27日のブログに続きます>
日本で教育を受け、大学までの進路が確定し、最終学歴というゴールを
目前にして、なぜあえて苦労する道を歩もうとするのか、
すでに、自らの方向性を決めているその生徒の落ち着きのある表情をみると、
2週間という短期間サマースクールで何がどのように、
その生徒を動かしたのか、私はとても興味を持ちます。
本人いわく、いろいろな生徒がいることそのものが衝撃だったといいます。
それでもまだ、私には解らないのです。
その衝撃の源とは何なのか、英語という言語に対する興味か、
異文化人との生活での新たな発見が、本人の知的好奇心を刺激したのか、
あるいは、授業の進め方やあり方に可能性を見出したのか、
とにかく、その生徒は今までの学習履歴の成果としての進学を蹴っても、
アメリカの大学にチャレンジしてみたいというのです。
未知との遭遇は、何が起こるから解らない故に、挑戦の可能性を引き出します。
一方で、既成のものを否定することは、勇気のいることです。
アメリカでの学習は、英語のハンディに加え、生活・文化・習慣の違いも
足さないといけません。故に、日本での数倍の学習量が必要です。
それが可能かどうか、本当のことを知っているのは、留学を希望する本人です。
人は納得して意識を集中してものごとに取り組むときに、
本来の力を発揮できるのではないかと思います。
「やらされている」という無意識から脱却して、
「やる」という意識で自分を満たすことができるからです。
何度でも言いますが、アメリカの大学生と
日本の大学生では勉強量が相当違うと思います。なぜか、
アメリカでは肩書きが日本のように有効でないからだと思います。
「とにかく、大学を出なければ」という発想を彼らはしません。
また、教える側も、その内容や質を日本よりもはるかに問われるために、
熱心さが違うと思います。
「近頃の学生は・・・」という先生もいるでしょうが、
一般的には学生批判をする暇があれば、自分の授業の内容を見直すことが先です。
話を戻します。
人は、極端な衝撃を受けると、こころの奥底に眠っていた、
本来の自分にある好奇心や探究心に目覚めるのではないでしょうか。
ところが、そのような素朴な意識は、長年の知識の詰め込みなどによる
精神作業の影響を受けて、顕在化しにくくなっているともいえないでしょうか。
あるいは、好奇心などは、たとえ顕在化しても、周囲の同意を得られず、
こころの奥底に引込めざるを得ないのではないかと思います。
ある異文化体験をきっかけに、既存の概念を打ち破るような本人の振る舞いに
驚くのは周囲の人々ですが、その時の親の姿勢こそ、
本人のその後の人生に大きな影響を及ぼすものと思います。
つづく

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