○子どもたちの秘められたちから6 英語力
日常生活に必要なものを身につけることは、子どもたちにとって自然に行えることです。留学においては、「言葉」を習得することが、先決問題となりますから、それまでの学習能力や学術習得程度とは無関係に、日常のなかで言葉を学んでいきます。
周囲に日本語を使う環境がなく、日常がすべて英語の場合は、留学生は3か月もすれば生活に困らないくらいの英語は覚えます。さらに3か月もすれば、相手の言っていることは、かなり理解できるようになります。そして、1年後には、聞く、話すということへの不自由さは、それほど感じなくなると思います。
留学してからの英語学習は、日本での英語学習とは全く違います。英語が好きであろうがなかろうが、留学すれば英語学習は必須となります。生活に必要なことを10代初めそして半ばの子どもたちがいかに素早く吸収するかを見るにつけ、人が秘めている能力には、驚くべきものがあると思います。
日本では、誰でも6年間英語を学習します。英語学習の重要性が以前にもまして重視されるようになり、教授法やテキストなども改善され、多くの英語を母国語とする人々が教える現場に登場し、英語クラスの時間数も多くなっているにも関わらずなぜ、日本で学習したのでは身につかないのかというと、生活に必要でないからだと思います。
留学という環境は子どもたちにいろいろな「自分」を発見させてくれます。そのなかで、いちばん顕著に、より具体的に、自他ともに留学して「変わった」と理解できるのが英語力です。必要は発明の母ということわざは英語のNecessity is the mother of invention.の直訳ですが、多くの留学生が留学でどうしても必要に迫られて、今まで全く見えていなかった自分が無意識のうちにも動き出すということに、彼らは感動を覚える間もなく、自分の視野が世界に向けて急激に広げられることすら、気づく余裕もないのでしょう。
留学によって自らの秘められたちからを開花させるためには、一つだけ条件があります。それは、自分の身にふりかかる日々の問題から逃げないことです。どうしたら立ち向かえるかというと、周囲の人のバックアップを理解できるかどうかにかかっていると思います。もちろん、お母さんをはじめとした家族も留学している本人を応援しますが、こころのエネルギーをオープンにしないと、到底、新たな自分は見出し得ないでしょうし、異文化生活も耐えがたいものとなります。
私が本当に感動しているのは、日本での過去がどんなものであれ、過去5年間を振り返りおおよそ100人余りの生徒の留学をお世話したなかで、中途で帰国した生徒は1人ということです。すなわち、留学という環境が、子どもたちのポテンシャル(潜在能力)を刺激し、少なくとも英語力という点においては、だれも失敗なく身につけているということです。