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言葉と感性

ある学校の電車の中吊り広告に、
「○○は言葉に強い生徒を育てます」とありました。
言葉は感性を磨き、そうすると勘や、ひらめきを生む。
そのようなシャープな頭脳を青年期に育てるのだそうです。
私も賛成です。その通りと思います。
毎日、こうしてブログを書いていると、切実にそのように思うだけでなく、
書くことを止めなくなります。言葉は無限であり、表現もしかり。
故に、書けば書くほどすこしでも、自分の納得したものに近付けたい。
そのために、書き続けることになります。
私にとって、書くことはスポーツ選手と同様に、
日々その実践が欠かせません。
それを止めると、体(こころ)の切れがなくなります。
それイコール、選手生命の終焉を意味するかもしれません。
追い立てられるわけではありません。ただ、好きなことは追及したい、
そのような気持ちでなければ、長くは続かないでしょう。
さて、この中吊り広告は、その次に日本語検定、英語検定とあり、
卒業時にそれぞれの達成目標の級が掲げられます。
「そうだろうか」と私は思ってしまいます。
感性なるものが、数値化されるだろうかと思います。
感性を磨くことと、検定試験を目指すことは別のことです。
もちろん、この広告を作成した人は、その違いはわかっていると思います。
その人は、言葉を磨いたあかつきには、検定試験の2級くらい取れますという
つもりで書いたのではないかと思います。
感性という個別に獲得する特性を一般論に訳したわけです。
しかし、訳す必要があるのだろうかと私は思っています。
言葉を磨くことは、教育においては基本ですから、自明のことがらです。
言葉に強いということは、しっかり相手に自分を伝えることを
意味すると同時に、相手の言葉も理解する能力があることを示します。
すなわち、教育が目指すひとつのことがらです。
それは、教育を受けた人が社会に出るための最低限の教養です。
それでなければ、教育はそのほとんどの意味を失うことになります。
スポーツの比喩に戻ります。
多くの学校で、○○部県大会優勝などの垂れ幕を私はよく見かけます。
それは、学校にとって重要な「広報」なのだと思います。
なるべく多くの人に、その事実を知ってもらいたい。
そうすることで、魅力ある学校にしていきたい。
誰にとって魅力ある学校でしょうか。
もちろん生徒です。栄光を努力して勝ち取ったひとり一人の生徒であり、
それを支えた生徒や先生たちの喜び、苦労、感動などが混然となり、
感性に火をつけて、さらに燃えることころに教育の醍醐味があるのでは、
ないでしょうか。
その感動をどのような形で、誰に伝えるかはそれぞれの自由ですが、
それは、あくまでも内側から起こり伝播していくものと私は思います。
母校へのプライド、それをボーディングスクールではalma materといいます。
Alma materを育てることで、私は広報のかたちが変わると思っています。

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