日曜コラム 支えること、支えられること
今週、TABSフェアーに参加希望のご夫妻とお会いしました。
まだ小学校にあがっていない息子さんが二人とお母さんのおなかの中に一人、
前年、フェアーのアテンドをさせていただいたのですが、
今年もまたとの依頼を受けました。
打ち合わせのために来社していただいたのですが、
フェアー参加校の具体的な解説は十分も話さなかったと思います。
二時間余りの打ち合わせで、話の割合は私が八割、お父さんが一割八分、
お母さんが二分くらいでした。
教育論を熱く語っているととにかく時が経つのを忘れます。
先日のブログであるお父さんが日本の初等中等教育が
「ガラパゴス化」しているのではないかと断じました。
社会の第一線で英語圏やアジアの国を相手にバリバリ仕事をされている人です。元気で、誠実で、勤勉で、実直でとても真面目なお父さんです。
自らも英語圏の高等教育を経験している彼が、留学をしたばかりの息子の
現場を見て、日本の教育と比較して「ガラパゴス化」というコメントを
私はとても重くみています。
今、社会で一所懸命に努力している人が等しく感じること、
それは、世界のなかでの日本と、その先行きではないでしょうか。
留学まであと六年くらいはゆうにある子どもたちを持った夫婦、
中学から留学に踏み切った夫婦、いずれにも共通している教育の概念は
人間としての基本の大切さです。
そして、私はその原点に支えることと、支えられることを思い浮かべました。
その理由は、前述の若い夫婦から
「斉藤さん、うちの子どもたちが、学校見学するまで仕事してください。やめないでください」と言われたことによります。
前回、学校見学に行ったお母さんからは、
「私の孫の留学までやってもらわないと・・・」とお世辞をいただきました。
問題の原点に、社会の在り方と人の生き方があると思うのは、
すこしばかり気負いすぎでしょうか。
私がお世話している子どもたちの親は、日本の未来を憂いています。
そして、世界の未来も一抹の不安があります。
だから、教育はベストの選択をしたいと考えます。
それしか、子どもに残したいと思うものがないからです。
彼らはみな、子どもたちが世界で生きられることを望みます。
その望みの一部を私が請け負うことができるのは、とても名誉なことです。
そして、私は彼らに支えられていると思います。
目指すものが、教育であるからこそ、支え、支えられると私は思っています。
それは、私がとても好きで、飽きることなく想像できることがらです。
明日から、ボーディングスクールを訪問します。