日曜コラム 盛夏とオリンピック
オリンピックが終盤を迎えています。
メダルの色と数が毎日テレビをにぎわしています。
昔に比べると、ずいぶんとメダルを獲得した選手が複数の現地テレビ局に
出演し、努力の足跡が紹介され、辛かったこと、嬉しいことが聞かれ、
努力を支えた人、そして親兄弟が紹介されます。
四年に一度の世界の大会でトップスリー以内のメダルですから、
それはこころを震撼させるほどに、嬉しいことに違いありません。
その一方で、メダルを期待されながら、獲得できなかった人たち、
また、目標のメダルに届かなかった選手たちもたくさんいます。
「悔しさをバネにして、四年後を・・・」というのは簡単ですが、
本人にしてみれば、「今、もう一度やりなおしたい」と思っていることでしょう。
その勢いに私は精神の力をもらっていると思います。
水泳の北島康介選手は、今回の試合のインタビューに答えて、いわく
「何も犠牲にしてません。何かを犠牲にしてたら、続けることなんて無理です。
ただ泳ぐのが好きだから、できただけです。」
この彼のメッセージは、私の友人がFace Bookで話題になっていると
送ってくれたものです。友人は、北島選手を「イイ奴」と言いました。
好きでものごとを追求するというそのすなおなこころの姿勢が
私の友人をして「イイ奴」と言わしめたわけですが、世界のトップともなれば、
厭でやらされて頂点に上り詰めることは不可能ではないかと思います。
好きなことをやるという概念を私はとても大切に思います。
私自身のコンサルティングの仕事も、趣味の剣道もテニスも、
自分で好きだからこれまで続けられてきたと思っています。
もちろん、調子のいい時ばかりではありません。
スランプ、トラブル、故障、想定外の事象など、私たちは生身の人間ですから、
常に状況は変化します。良い方向だけならハッピーこのうえありませんが、
それがないから、人間なのだと思います。
北島選手のみならず、メダルを獲得できる選手もそうでない選手もみな、
自分のやっていることを愛する気持ちに変わりはないでしょう。
さらに、その愛がかたちを変えて、自分を客観的に見つめ、
人に頼らずに尊重し、受け入れ、
感謝するところに「結果」は正直であると私は信じたい。
メダルを獲得した人の涙も、不本意の結果で終わった人の涙も、
いずれも涙をさそわれます。
年をとるにつれて、涙腺が緩くなっている自分を
再確認させられる機会をこの盛夏の時期、日々経験しています。