日曜コラム 風邪とバナナ
先週の日曜日、シカゴからのUA881便が5時間ほど遅れ、
私の帰宅時間は午後11時ころになりました。
それから、二日間時差ボケをなるべく早く解消するために
あえて朝の運動を強化するようにしたのですが、
渡米前とは違う朝の暖かさを感じ、調子に乗って竹刀素振りを
Tシャツ一枚のみで行うという、今にして思えば愚行がたたり、
水曜日、私の風邪の初期症状である、咳きが微かに感じられました。
木曜日、金曜日と咳きこみが脳天を突き、偏頭痛も加わり渡米後の週は
運動どころではなくなってしまいました。
風邪をひいたら「睡眠が一番」と九時には床に就くようにしたのですが、
時差を体がうまく解消できていないらしく、
頭痛、ぼんやり感、微熱、咳きこみでウィークデイはさんざんです。
金曜日はさすがに、オフィスの人たちにうつしてはいけないと思い、
出社を控えました。
ここまでウイルスの攻撃を食らうと、「食い勝つ」が信条の私ですが、
食欲が減退し、家内も「おかゆがいいかもね」という状態でした。
げほげほと咳きこみながら自宅のテーブルの上にある
バナナに目がとまりました。
普段なら口にすることはないのですが、自然に手が伸びて、
すーい、すーいと皮をむき「あぐん」とバナナをほおばりました。
「甘ーい。うまーい」と私は自然と口にしたように思います。
風邪をひいたときのバナナ(そしてコーヒー牛乳!)、とても懐かしい。
小学生のころまで、私の生きた社会は全体が今よりも貧しく、
不便で、大雑把で粗雑でした。
そこで生きていた子どもたちの母親はおしなべてたくましく、
何より子どもたちにとっては怖い存在であったように思います。
父が仕事で忙しく子どもたちとそれほど頻繁にかかわらなかったことは、
今も昔も大きな差がないように思いますが・・・。
そんな怖い「母」が唯一優しかったのは、子どもが病気になった時という
認識を持っているのは、私世代に共通していないでしょうか。
当時は果物や甘いもの一般が世の中に普及する前の時代であり、
特別な時でなければ、バナナ(やコーヒー牛乳)がそっと枕元に
置かれることなどなかった。いわば映画「Always三丁目の夕日」の世界です。
ちなみに、アメリカはフルーツやソフトドリンクは好きなだけ食べて
飲めるだけの経済的実力が戦前からあったと思います。
そんな日本の貧しい社会を必死になって下支えし、
黙々と働き続けたのが、私の親の世代ではないかと思うのです。
その人たちの勤労に報いる社会制度がまだ崩壊せずにあることが、
幸いに思います。
週末に入り、咳きこみと頭痛は緩和され、平熱に戻りました。
しかし、体の温度調節機能がもうひとつで、
食事の度に普段にない発汗があります。
それも暫時、自然の状態に戻るでしょう。
これからも、バナナの甘さを「ありがたい」と思えるように、
自分の生き方を作っていきたいと感じています。