留学生の一年後
南半球に留学している生徒の学年末休みが既に始まっています。
北半球への留学生がそろそろ帰国する時期でもあります。
ニュージーランドから帰国した生徒にとっては、これから2か月あまりの
長い休みとなるわけですが、一学年を終了した生徒の成績表を
見て彼らの努力と苦労の痕跡を探すことは私にとってとても重要です。
成績の結果と先生のコメント、そして本人から直接現地での生活を
聞き、一年前の彼らと対比するのですが、その都度、
「すごいなあ」と感心します。
一年前は全く英語が話せなかったのです。
海外での生活などまったく経験もなかったのです。
その彼らが1年間、海の向こうで「学習」を目的として過ごせたのです。
日本にいたときの彼らの「学習」の実情を熟知している彼らの親は、
どれほど嬉しいことでしょう。
私も自分の息子がニュージーランドから帰国した時のことを
思い出すにつけ、親の喜びを実感することができます。
留学した本人、帰国はアウェイから帰ってきたサッカーチームの
ような気持ちであると思います。
サポーターが常駐し、自由であり、気を使う必要もあまりなく、
わがまままも許される、それがホームなのかもしれません。
私は次にどうしたら良いかを考えます。
努力と勤勉さは留学先で認められたとしても、さて、本人は次に
何を目指すのでしょうか。
家で慣れ親しんだ食事を一週間ほど堪能し、旧知の友達と
長話を電話でしたり、会ってこの一年について意見交換を
するなどして、物理的、精神的に満たされたら、彼らはどうするか、
そこで「勉強する」と言いたいところですが、
現実はそれほどスムーズには親が描く構図どおり行かないと思います。
しかし、私は一年後の長い休みこそ、彼らに学習に興味を
持ってほしいと切に思います。
生活するのには英語に困ることはなくなりました。
学校の授業もその骨組は理解できるようになっています。
そのうえで、彼らに圧倒的に欠けているのは英語を読んで書くことです。
読み書きに終わりがありません。これでいいという上限などありません。
「読んで書く」ことそのものが、目的にはなりません。
故に、せっかく手に入れつつある第二のコミュニケーションツールを
自分のやり方で磨いてほしいのです。
教えることの好きな私にとっては、留学一年生というのは、
教え甲斐のある人たちです。
とても伸びる時期であり、また伸ばすことのできる時期でもあります。
その基本には、彼らの現地での「苦労」があります。
周囲に対する気遣い、日本に比べたらまずい三度の食事、
否応なしの宿題、課題、そして忙しい時期ととっても暇な時期の
コントラストが激しい現地での生活。
それらに耐えたという意識を持つ生徒、それらが面白かったという生徒、
彼らの個性は豊かですが、手放しにほめていいと思います。
そこから、始められるから、彼らはやる気になります。