スロー文明 → ゼロからの出発3
異文化体験の原点は人の善意を感じとることにあると
私は昨日のブログに書きました。
新たな環境で生きる力を再生するとも書きました。
それが私のキャリア、30年間で学んだ留学の本質です。
グローバル社会は善意の力によって回転していると
私は最近、確信しつつあります。
国を超え、文化を超えて私たちが繋がるためには、
競争心ではなく、相手を受け入れるというこころだと
私はこの仕事を通じて気づきました。
この気づきはおそらく、ブログを書き続けなければ
生まれなかったと思います。小さな子どもたちが海外で
学ぶという「離れ業」を平然と成し遂げられるのは、
どうしてなのだろうと考え続け、それを書き続けることで、
彼らの共通点をいろいろな角度から考えた結果、
ポジティブな感情を尊重し、大切に育てることで、
世界とつながれると確信しています。
日本に来る人も、海外に行く人も、この意識が
上手に働かせるからこそ、手をつなぐことができるでしょうし、
それまでの「日常のあたりまえ」をドラスティックに変化させることで、
無力で非力な自分を見つめ直し、いつくしむわけです。
泣いても、叫んでも、どうにもならない状況から、
自分を解放するにはどうしたらよいだろうかと子どもたちは
必死で考えているわけです。
もちろん、彼らは「考える自分」を上手に説明などできませんし、
客観的にとらえることもできないでしょう。
しかし、確実に彼らの五感は現実に反応し、対処できるのです。
「すごいなあ」と思います。「小さいのによくやるなあ」とも感じます。
どうしてできるのかと考え抜いた先に見えたものが
善意という人間のダイナミズムだったわけです。
私は教育という世界で仕事をしています。
英語圏や日本で教育に携わる人たちをたくさん見てきました。
そして、彼らから多くの善意を吸収して今に至っています。
もちろん、勧善懲悪のきれいごとだけで留学が成り立っている
わけではありませんが、善を見るか、悪を見るかは、
私たちひとりひとりの選択にかかっています。
日本に比べれば、英語圏の国々はとてもいい加減です。
もし、そのいい加減さに圧倒されて、「いやだ」と留学生諸君は
思うことがあっても、それゆえに帰国とはなりません。
このことひとつをとっても、彼らが善意という方向を感知して、
人を受け入れ、なおかつ「ありがとう」という気持ちを持てる
その余裕が彼らをどんどん成長させます。
つづく