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留学物語-父は東大、ぼくはニュージーランドその4

(その3:4月29日掲載)
ぼくは英語には不自由をしなかった。小さなころから、アメリカやアジアの国で教育を受けたので、英語はぼくにとって絶対に必要なことばだった。いつどのようにして英語を覚えたのだろう。英語で夢を見るようになった時期はさだかではない。自然に身についていたというのが、ぼくの印象だ。日本に帰ってからぼくの英語力をみなうらやましがったが、ぼくは自分がうらやましいとは思わない。
ことばを覚える代わりに、転校を余儀なくされ、そのたびに新しい環境になじむ努力を強いられた。できたら、一つの学校でづっと続く友達たちと当たり前の学校生活を送りたいと思っていた。生きてゆく環境はとても大切なものだと思う。ぼくは小学校のときに塾を経験していない。家庭教師ももちろんいなかった。
与えられた環境に自分を合わせることが当然と思っていた。
日本の学校での毎日はぼくにとって疑問の連続だった。ひとクラス40人も生徒がいるので、自由な意見交換をしている時間がない。質問や疑問があってもみなそれを口に出すことは少なかった。個性尊重というけれど、どのようにして尊重するのかわからない。生徒たちをテストでランク付けし、能力別にクラスを編成して、偏差値に見合った大学に行かせるとぼくはおもった。やりたいこととか、好きなことじゃなくて、偏差値という基準でみな大学を選んでいるのではないかと思う。好きなこと、やりたいことは、大学に行けは時間があるんだから何でもできるとぼくの同級生は言っていた。それでは、大学までは好きなことも、やりたいこともせずに過ごせるだろうか。
ぼくの私立高校では驚いたことに、スポーツにすぐれた生徒はそれに専念していれば良いのだった。勉強のことはうるさく言わない。勉強のできるやつとスポーツの優れたやつを学校はたいへん優遇するように思った。それが国際人養成、それが社会に貢献する知性と行動力をつくることだろうか。ぼくには有名大学に入学できる生徒を増やすことに思えた。
ぼくの友達は「はじけている」やつが多かった。みな個性的で好奇心にとみ、海外生活の長いぼくが言うのも不思議かもしれないが義理とか人情がわかる連中だった。あるとき、とても頭の良い生徒が麻雀荘で捕まった。普通なら即退学だが、彼はそうならなかった。ぼくやぼくの友達がもし麻雀荘にいるところを先生に発見されたら、退学になったと思う。
海外で少年時代を過ごしたぼくは先生の言うことをそのまま信じたかった。自分の意見は堂々と言い、ディベートやディスカッションでお互い納得したかった。海外の学校では小学生でも先生と渡り合うやつがいて、先生も熱くなって語ったりした。ぼくは「大人の社会」を少しずつ感じていた。どうして、なぜというぼくの素朴な疑問に大人たちが答えてくれない。納得がゆかないことが増えていった。
ぼくは、自分の体験している学校を「日本」として捉えるようになった。同時に、帰国子女というレッテルを貼られ、色眼鏡で見られることにも嫌気がさしていった。
つづく

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