プリミティブな発想-使える英語とは
使える英語と試験に出る英語は違います。
前日のブログで書きましたが、使える英語とはおおよそ自分で
創作してゆくものと私は思っています。
試験に出る英語とは与えられたものであり正解が決められています。
それ以外は不正解として
点数以外に反映がなく、終われば忘れ去られてしまいます。
私は旅立ちを控えた子どもたちに、最後の点検時、
いくつかのメッセージを伝えます。
ある生徒に聞きました。「相手の言っていることがわからなかったどうする」
彼はニコニコしながら、「笑ってごまかす」と答えました。
私は彼らに「そのような指導をしたのだろうか」と一瞬自問自答をしましたが、
「笑ってごまかせなかったらどうする」と突っ込みました。
彼は、「聞き返す」と言いました。
「正解を求めないようにな、それは自分でつくるもんだから」
その後に、彼が滞在する予定になっているホストファミリーに電話をしました。
そして彼に電話をかわりました。
なんと、彼は5分ほどホストと電話で話したのです。
確かに、電話でも「笑顔」がありました。
半分以上、ホストの言っていることはわからなかったと思います。
しかし、わかる単語をつないで、単文で数回答えていました。
立派なコミュニケーションだと思いました。
その生徒の「伝えたい意思」を大切にしたいと思います。
日常で必要な語彙数はせいぜい多くても500くらいだと思います。
その組み合わせで旅行時に不自由しないくらいの英語は成り立ちます。
それが留学生の3ヶ月での達成目標だと思います。
彼らがあこがれていた「英語が話せるようになる」ということへの第一歩です。
しかし、留学の目的は英語が話せるようになることではありません。
そこで、サバイバルレベル(生活できる英語力レベル)が終わる段階で
みな一様に壁に突き当たると思います。その英語力の壁とは、
「学習」事項がたくさんありすぎて「どうしよう」といったものでしょう。
ここからが留学の本番なのだと思います。
どうにかしなくちゃ→慣れた→ほっと一息→勉強は?
ここですんなり勉強の波に乗れれば問題ないわけですが、
現実、殆どの子どもたちは勉強を必要に応じてすいすいこなせるほど、
学習慣れしていません。
暗記型学習という環境から考案的学習への変化は
彼らの試練であり、苦労であり、さらには自分との戦いです。
負けないでほしいと思います。
使える英語の第二のステップ、それは英語という言語の構造理解に
あると思います。
つづく