日曜コラム-庭の風景
ついこの間まで暑い暑いといっていた夏から初秋を跳び越して冬になりました。
ざわざわと茂っていたゴーヤが片付けられたほぼ2週間後に、
庭の片隅に生い茂っていた若い柿の木からすべての枝葉が取り払われました。
桃栗三年柿八年といわれますが、4年目にして我が家の柿の木に一個だけ、
柿が実りました。
収穫された柿は家内と私の父の写真の間に置かれています。
家内は好き嫌いにかかわらず家族で4分の1づつ食べるといっています。
来年は何を作るか、すでに模索が始まっているようです。
ピーマン、ほおづき、冥加、実のならないイチゴ、シソ、ミニトマト、
そして小さな花をさかせる菊のたばなど1年草はすべて
刈られて、いままで雑然として、
騒がしかったミニ農園は静まりかえっています。
私は伸び放題だった2平方メートルほどの芝生を
切れ味のよくない大鋏で刈り込みました。
芝生も伸び放題でほっておいたので、久々のトリムで
新入野球部生のように、さっぱりとしました。
首をふることなく一瞥できる我が家の小さな庭ですが、
多年草の地を這うアメーバのような草花と実家の母からもらった、
かぼそく小さなみかんの木と子どもの背丈ほどの柿木以外になにもなくなり、
「静かだなあ」としみじみ感じます。
寒さと静かさがリンクして、やがて芝生から緑が消えると、
空っ風が吹き、そして雪が降る。
毎年繰り返されることですが、
年とともに当たり前の物事への味わいと
感動、感謝が深くなるのは年のせいでしょうか。
グランドキャニオンに行かなくても、アブシンベル神殿を
髣髴しなくても、身近にある風景を切取り、季節のフレイバーを
すこし加えれば、それで喜べるのは、おめでたい性格と
自分自身に達観しています。
来週は日本を留守にします。
赤道を南に下ってニュージーランドに15歳の少年と学校訪問に行きます。
太陽の角度が変わり、彼の地の自然は騒然としているかなあと
思うまもなく忙しい学校訪問が始まると思います。