小・中・高校留学-教育の視野
21世紀となり、こころの時代、個人の時代といわれています。
自己選択・自己責任がより重視され、一貫教育が私立、公立の教育機関で
多く見られるようになりました。
個人のニーズが個別化、多様化するなかで、
その傾向と対策を請け負う塾、予備校なども増えているのではないかと思います。
目指すところは、これからの社会に対応する教育であると思いますが、
グローバル化社会の影響は企業においては、切実に受け取られ、
その対策が日々進んでいると思いますが、大学においては、
グローバル化対応策がどのようにすすんでいるのか、私には良く解りません。
巷から「大学生よ、勉強せよ」などという声を聞くとき、
彼らの「視野」にあるのは、何だろうと思います。
勉強しない大学生というのは確かに、グローバル社会の中では異端児です。
英語圏では、勉強したくない学生は大学にはゆきません。
私は今の若者が目指しているのはもしかすると、
「安定」ではないかと時々思います。
生活の安定は極めて重要で、それ自体は決して悪くはありません。
しかし、若さゆえのチャレンジ精神は時として、安定を飛び越えてほしい。
ゆえに、自分の好きなことを、安定のためでなく勉強してほしい。
私は自分の若者に対する「物足りなさ」を時々、カウンセリングで語ります。
それを小学生はポカンと聞き、親がうなずく。
中学生は、時に反応し、時にあくびをこらえ、親が心配そうな顔をする。
高校生は目を輝かせて聞き、親は「この子の人生ですから」といった、
コメントを私にしてくれます。
大学全入時代といわれ、人気大学と定員割れする大学の格差が
大きくなることで、大学に入学するという「難関」を突破すれば、
そこに「保証された」人生があるという一般的な固定観念が私は
漠然とですが、まだあると思っています。
しかし、世界を見れば、教育の視野というのは拡大せざるを得ません。
「誰かがやってくれるだろう」という意識を「自分がやらなければ」に
転換することは、企業にとっては至上命令と受け止めます。
「指示待ち人間」をよしとする企業はおそらくないと思います。
求められる人材の準備をするのが、教育機関であると思います。
自分の役割が与えられ、それを正確にこなすことを求められた時代は
遠の昔に終わり、役割を自ら考え行動することが当たり前になっているのが、
グローバル社会であり、企業であると思います。
人間を知らなければ業績を上げられない社会に対応するために、
人間を知るための環境を整備しなければ、教育成果が上がらず、
人間を知ることを視野に教育を考える。
私は「教育の視野」という国家的な理念も、実は家族という単位が
持たなければならないのが、グローバル時代であると思っています。