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スイスのボーディングスクールについて

スイスにある国際都市、ジュネーブからレマン湖沿いに電車で一時間あまり、
モントルーから車で山間を30-40分上ったところに小さな町、
ビラにある初等教育ボーディングスクール、ラ・ガレンの2代目校長、
グレゴリー・ミーンさんがオフィスを訪れてくれました。
彼が語ってくれたスイスのボーディングスクールの成り立ちはとても
興味深かったのでご紹介したいと思います。
1947年、第二次世界大戦が終わり世界が安定を取り戻しつつあった頃、
ビラにはなんと52校あまりのインターナショナルスクールが
あったと彼は言います。
それらは、サナトリウムから学校に変化したのだというのです。
サナトリウムは日本語で療養病院と訳されます。
当時は、肺結核の療養のため、空気が澄んでいて、太陽がさんさんと照り、
静かで平和なスイスに世界中から結核療養の患者がやってきたのでしょう。
結核のための良薬が開発され、世界が安定を取り戻すなかで、
ビラにあったサナトリウムがインターナショナルスクールに
変化していったわけです。
おそらく、その当時のインターナショナルスクールには、
多くのアメリカ人生徒がいたのではないかと思われます。
70年代、アメリカの経済的繁栄に陰りが見えるようになる頃から
ビラの多くのインターナショナルスクールがその役割を終え、減っていきます。
50以上もあった学校が80年代に半減し、現在、ビラには4校の
インターナショナルスクールがあります。
サナトリウムが変化して学校になったというプロセスは、レザン・
アメリカンスクールにも当てはまります。
雄大なアルプスを見渡せる山間のレザンという小さな町にある学校も、
以前はサナトリウムであったという話を当時の校長、オットーさんから
伺ったことを思い出しました。
多くのサナトリウムは、学校ではなく、ホテルとして再生されたところも
多いように思います。
スイスといえば、ホスピタリティー関連のホテル学校や、
フィニッシングスクールと呼ばれる、若い女性のための学校が有名ですが、
その多くが実は、サナトリウムから変化していったのもではないかと思います。
時代の変化にうまく対応できるスイスという国の文化の一面を
ラ・ガレンの二代目校長、とても若いグレゴリー・ミーンさんから
教えられました。

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