留学コンシェルジュ

#4 エッセイの書き方―ボーディングスクールの出願プロセス

<前日のブログに続きます>
自己表現で感じられる出願者の個性、特性はアメリカ、ボーディングスクールの受験で合否を決める重要な要素になることを前日のブログで述べました。
では、自己をどのように表現するのがいいのか、今日は入試におけるエッセイの書き方について考えます。
書くことを厭わずそれを学習の基本とする姿勢は、選択するということと共にアメリカボーディングスクールの大きな特徴です。TOEFLやSATが電子化されるなかで、ライティングという採点が機械ではできないことをあえて取り入れるということに書くことを重視する姿勢がうかがい知ることができます。
英語での作文の書き方には、起承転結や序論本論結論という曖昧な定義はありません。自分の意見を最初に述べて、その根拠を示し、結論を書くそれだけです。読む人が解りやすいように書けばいいのです。
それ故に、最初の一言、そこに盛られている自分の考え、アイディア、見方などがとても大事になります。そして、その根拠を示すわけですから、自分の意見について無理のない論理を展開する必要があります。
例えば、「なぜボーディングスクールに留学したいのか」という課題であれば、だれでもすぐに頭に浮かぶのが、「英語をはなせるようになりたい」です。それから発展して考えれば、「英語が話せたら、いろいろな国の人たちと友達になれる」ことも無理なく考えられます。それは、「異文化理解」へと発展していきます。
作文の冒頭に来る文章をトピックセンテンスといいますが、上記、3つの要素をまとめるトピックセンテンスとしては、「留学は私の夢でした」でもいいと思います。夢の実現で3つのことが叶えられますと続けられます。それが本音であれば、夢を語ることは楽しいことですから、語りを書きに変えればいいのです。一つのテーマが終わったら次に進む、これを繰り返すことで、だれでも英語のエッセイを書くことができます。
ある日本の学校では、書くことに生徒たちを慣らすために、新聞の社説を読ませて、それに対して自分の意見を書くということを小学校の高学年でやらせるそうですが、なぜ社説がテーマとして選ばれるのでしょうか。
その課題を与えられた生徒にしてみれば、それでやる気も好奇心も満たされるどころか、失せていってしまうと思います。書くという作業は、試験を突破するための道具ではありません。あくまでも、自己表現がその基礎にならなければ、そもそも書くという作業に生徒たちが興味を持つはずがありません。
いつのまにか、試験対策ということが、学びの中心になってしまい、自分らしさということが置いて行かれてしまうところに日本の場合、問題がないでしょうか。
出願におけるボーディングスクールの生徒への質問事項(student questionnaire)は自分をアピールするための基本的な質問しかありません。自分を表現する絶好の機会と考えることができるか、あるいは、「書かなければならない」という受け身の認識なのか、大切なのは、それに向かう生徒たちの心構えにあると思います。
来週につづく

<前日のブログに続きます>
自己表現で感じられる出願者の個性、特性はアメリカ、ボーディングスクールの受験で合否を決める重要な要素になることを前日のブログで述べました。
では、自己をどのように表現するのがいいのか、今日は入試におけるエッセイの書き方について考えます。
書くことを厭わずそれを学習の基本とする姿勢は、選択するということと共にアメリカボーディングスクールの大きな特徴です。TOEFLやSATが電子化されるなかで、ライティングという採点が機械ではできないことをあえて取り入れるということに書くことを重視する姿勢がうかがい知ることができます。
英語での作文の書き方には、起承転結や序論本論結論という曖昧な定義はありません。自分の意見を最初に述べて、その根拠を示し、結論を書くそれだけです。読む人が解りやすいように書けばいいのです。
それ故に、最初の一言、そこに盛られている自分の考え、アイディア、見方などがとても大事になります。そして、その根拠を示すわけですから、自分の意見について無理のない論理を展開する必要があります。
例えば、「なぜボーディングスクールに留学したいのか」という課題であれば、だれでもすぐに頭に浮かぶのが、「英語をはなせるようになりたい」です。それから発展して考えれば、「英語が話せたら、いろいろな国の人たちと友達になれる」ことも無理なく考えられます。それは、「異文化理解」へと発展していきます。
作文の冒頭に来る文章をトピックセンテンスといいますが、上記、3つの要素をまとめるトピックセンテンスとしては、「留学は私の夢でした」でもいいと思います。夢の実現で3つのことが叶えられますと続けられます。それが本音であれば、夢を語ることは楽しいことですから、語りを書きに変えればいいのです。一つのテーマが終わったら次に進む、これを繰り返すことで、だれでも英語のエッセイを書くことができます。
ある日本の学校では、書くことに生徒たちを慣らすために、新聞の社説を読ませて、それに対して自分の意見を書くということを小学校の高学年でやらせるそうですが、なぜ社説がテーマとして選ばれるのでしょうか。
その課題を与えられた生徒にしてみれば、それでやる気も好奇心も満たされるどころか、失せていってしまうと思います。書くという作業は、試験を突破するための道具ではありません。あくまでも、自己表現がその基礎にならなければ、そもそも書くという作業に生徒たちが興味を持つはずがありません。
いつのまにか、試験対策ということが、学びの中心になってしまい、自分らしさということが置いて行かれてしまうところに日本の場合、問題がないでしょうか。
出願におけるボーディングスクールの生徒への質問事項(student questionnaire)は自分をアピールするための基本的な質問しかありません。自分を表現する絶好の機会と考えることができるか、あるいは、「書かなければならない」という受け身の認識なのか、大切なのは、それに向かう生徒たちの心構えにあると思います。
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