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日曜コラム 英語圏の論語解釈

アメリカ出張のおり、機内での読書用にと図書館で借りてきた本の一つに
司馬遼太郎さんの書いた「アメリカ素描」がありました。
平成元年(1989年)に発行された本で、最初の10ページほどの写真は、
一目見て「古い」と感じました。ところが、その内容は古いどころか、
私にとって多くの発見と新たな学習の機会がありました。
その中のエピソードとして、司馬さんはあるアメリカ人の学者が
かの論語を読んだ時のエピソードを取り上げています。
上記を読んだアメリカ人学者の印象は、「インディアンの酋長のハナシみたいだ」、
そして司馬さんがインディアンの老酋長ふうに『論語』の冒頭「学而篇」を
ウィットを込めて訳していますのでご紹介します。
●師曰いわく、学まなびて時にこれを習ならう。またよろこばしからずや。
訳:「お前たち、教わったことは、あとで復習するのだよ。あれは楽しいことなのだ」
●朋あり、遠方より来きたる。また楽しからずや。
訳:「友だちっていいもんだよ。とくに彼らが遠くからやってきてくれるときはね。これほどうれしいことはないよ」
●人知らずしていきどおらず、また君子ならずや。
「よく世間が認めてくれないといって怒る人がいる。あれはいけないよ。平気でいるってことがお人柄というものなんだ。わかるかね。」
司馬さんは、このアメリカ人の学者の論語解釈に「大笑い」をしたそうですが、
私にはこのエピソードは「大いなる発見」以外のなにものでもありません。
英語圏の人たちと付き合っていて、どうして彼らが空気を読もうとしないのか、
このエピソードがはっきりと説明しているからです。
「察せねば読むことが完了しない」と司馬さんは言っているのですが、
英語圏の人々にとっては、「察するとは何か」、「なぜ察する必要があるか」と
必ず疑問が投げかけられます。
私たちはそれを、「論語とは人生を教えてくれる基本だ。一を聞いて十を知るための勉強ではないか。」などと考えます。
日本はその歴史が始まった時から中国から
たくさんの知識やシステムを学んできました。
そして、明治維新以降は、学びの対象を中国から欧米へと移行しました。
その基本姿勢が今の教育の根本にあると私は思います。
まず知ることが、日本の教育の価値観です。
一方で、英語圏では「自己表現」が最初から重視されているわけですから、
知ってどうするとなります。
知るべきことが、とても多くなっている今のグローバル社会では、
学ぶことの価値観の根本を考えていかないと、そのスピードに追いつけません。
そして、現実は追いつく前にみなやめてしまいます。
私は若い時代の留学に学ぶことの価値観を考え直すヒントがたくさんあると考えます。

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