日曜コラム 地方に残る文化・習慣
先週のことですが、家内のお母さんがご逝去され、その葬儀に行きました。
東北新幹線を岩手県二戸で降りたのですが、アメリカ東海岸と同じくらい、
寒く感じられ、みぞれまじりの雨が降っていました。
今まで、何度か日曜コラムで紹介させていただいた家内の実家のある
岩手県浄法寺町ですが、瀬戸内寂聴さんが住職を務める天台寺があります。
岩手県の町々は関東と違って人が多くはないので、大きな墓地と寺が
一か所に集中しているわけではありません。
葬儀の後にお母さんを墓所まで送る際、参加した人々それぞれに
いろいろなものが手渡されました。
その中には、位牌、遺骨、卒塔婆以外に、
草鞋数足、
杖の先頭に馬をかたどり黒、青、緑、赤に塗られたもの、
銭まき箱(焼香台ほどの大きさ)
花をかたどったもの
提灯
などなど、
20人以上の人がそれぞれに割り当てられたものを手にして、
墓所である山のあぜ道を200メートルほどてくてくと登っていきます。
家内の実家でお盆、結婚式、お葬式などの社会的風習と接すると、
都市やその周辺ではとっくに消えてしまった文化に接することがあります。
葬儀の際、草鞋や馬を象徴したものがあるのは、
故人が三途の川を渡るときに、安堵できるようにとの配慮から
生まれたものと思います。
「銭まき箱」にはその昔、本当に「銭」が入っていて、それをまいたのでしょう。
今は、形骸化されて、そこから撒かれたのは、色とりどりの紙片でした。
「昔の人」はこのようにして、黄泉の国へ旅立つ人を送ったのだと思いました。
そこには、現代の合理的な葬儀にはない、何かがあると思いました。
「何か」とは、コミュニティーすなわち共同体としての
地域社会ではないかと思います。
力を落としている遺族の人たちを、その地域の人たちが支えられるように
工夫をこらしたその結果が、象徴として今でも残っていると思いました。
家内のお母さんは86歳でした。ご主人を事故で早く失くされ、
5人の子どもたちを育てました。地味でもくもくと努力された人でした。
お母さんとの最後の別れの時、家内がお母さんに届くように
「お母さん、ありがとう」と大きな声で送りました。
家内の声を思い起こす度に、涙がこぼれます。
そして、家族の絆の大切さを、あらたにします。