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日曜コラム たごとの月

たごとの月、この言葉を現代の若者は知っているでしょうか。
ウィキペディアによると、長野県更級郡冠着(かむりき)山、(姨捨(おばすて)山)のふもとの小さな水田の一つ一つに映る月とあります。
山の斜面になぜ水田を作る必要があったのでしょうか。
もちろん、米の生産量を増やして、藩の財政を少しでも豊かにするため。
ということは、国土の70%が平地ではない日本では、おそらく、江戸時代には、
長野県のみでなく、山岳地方にはどこにでも見られる風景であったと思います。
山の斜面の水田に水を供給していたのは、それを作った人々なのだそうです。
古くは、人力で水を一番上の田圃にまで運んだのだそうです。
驚くべきことです。人力で山の斜面に作られた棚田に水を供給したのです。
とてつもない重労働だったとともに、共同作業でもあったと思います。
江戸時代、日本は大小300余りの藩という独立した国に
分かれていたと言われますが、それぞれの国のGDP(国内総生産)は
石で表されていました。
江戸時代の一石とは、人ひとりが1年で消費する米の量
(1000合:1日3合/333日)だそうです。
ですから、たとえば加賀藩は百万石と言われていますから、
100万人を養えたということになります。
それぞれの藩は自国を繁栄させるために、米の生産に尽力し、
結果として、土地の有効利用として山の斜面でも米の生産が行われた。
また、為政者は正確に田圃から取れる米の量を把握することで、
国の経済力を把握して、それに見合った政策を考えたと思います。
たごとの月とは、斜面に広がる「田圃ごと」がつまって「田ごと」に
なったのではないかと思いますが、実は小さな田圃ごとに
反射する月が見られるわけではないようです。
また、水田に水が張られて、その水面に月の光が反射するのは、
季節と月の満ち欠けと、天気が一致しなければなりません。
ということは、1年にたごとの月が見られる日は、
それほどないということになります。
故に「たごとの月」は美しく、それを見ることができる人は幸せで、
それを見せることができる土地の人々はプライドが持てるという、
米を中心とした時代の一つの風情をたたえる言葉ではないでしょうか。
美しい日本は、それを支えている人たちの努力と良心と誠実さによって、
作られていると思います。

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