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◆ スイスボーディングスクールについて2

インターナショナルスクールと呼ばれている学校はスイスのみならずアジア、ヨーロッパの国々においても、英語が学内共通言語になっているようです。近代の世界でアメリカおよびイギリスの影響がいかに大きいかを示しているように思います。
将来、インターナショナルスクールの公用語が中国語、あるいは他の言語になる可能性はあるのでしょうか。もしそうであるとしても、インターナショナルという呼称ではないような気もしますがどうでしょうか。
スイスのインターナショナルスクールは、1949年以降創立の比較的学校の歴史の若いものは、下記4校ですが、これらの学校では、創立者あるいはそれを引き継いだ人物が顕在です。
Leysin American School(創立1960年)
TASIS(The American School in Switzerland創立1956年)
College Du Leman(創立1960年)
Aiglon College(創立:1949年)
余談ですが、College Du Leman(CDL)を卒業し、日本の大学を経て世界で活躍しているある実業家の方が、当時CDLの校長をしていたフランシス・クリバ(Francis Clivas)氏の思いでを語ってくれました。クリバさんは、海外から入ってきたファックスについては、すべて自らが目を通し、その指示を決めたそうです。日本やアメリカの学校で、校長自らが寮生の親やコンサルタントからもたらされた依頼事項や時には、苦言などにすべて目を通すということは、日本や北米の学校常識では考えられないと思います。
観光が重要な産業であり、ホスピタリティーを大切にしているスイスならではのエピソードのように思えます。
Leysin American Schoolの創立者はOttファミリーですが、今でもOttファミリーは健在です。Ottファミリーはみなアメリカの大学で学んでいます。2代目理事長のSteven Ott氏はすでに引退したが、かれの息子さんMarc、ChristopheはいずれもLeysin American Schoolではなくてはならない存在です。また、ご主人と息子たち、そして生徒たちすべてを自分の子どものように慈しみ、Leysin American Schoolを支えた、Stevenの奥様、Dorisさんは、今での多くの卒業生に慕われています。
TASISを創立したのは、Mrs. Crist Flemingさんです。アメリカのボーディングスクールをスイスに創るという彼女の夢は第二次世界大戦後、アメリカが世界のなかで重要な役割を果たしつつあるなかで、実現されました。それ以来、フレミングさんは精力的にTASISを発展させてきました。90歳を過ぎても生徒たちと親しく接し、彼女にとってTASISは自分そのものだったと思います。
この学校のDirector of AdmissionはWilliam Eichner氏ですが、彼はTASISに1983年より勤めています。3年程度で学校を移っていくのが当たり前のボーディングスクールで、勤続30年はとても珍しいといえます。それほどまでにアイクナーさんにとってTASISは尽くしがいのある学校なのでしょう。
つづく

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