★ボーティングスクール留学 多様性とグローバル化―3
<前日のブログに続きます>
大学生にまで先送りされた社会人としての準備で一番顕著なのが、英語力ではないかと思います。英語ができれば、かなり使える社会的な道具すなわち技術となる得るわけですが、受験英語に押されて、大学生になるまで多くの生徒が英語の楽しさや、必要性を感じても、黙々とテストのための英語学習をします。それでは、大学生になったら実用英語が身につくのかというと、残念ですがYESとは言えません。
その理由は、就職活動が大学生に受験勉強の次の課題として課せられるからです。大学一年生はそれまでの受験のプレッシャーを跳ね飛ばすように遊んだとします。2年生は遊び疲れて、アルバイト、サークル活動、授業外活動に興味を持ちそれらに専念します。そして、専門課程の始まりと同時に、ゼミクラスの選択から、就職活動が意識されます。
最終学年ともなれば、就活が本番となり、そのプレッシャーから、伸びのびとした大学生活などと言ってはいられません。いつになっても、後からあとから、何かが追いかけてくる学生生活なのです。だから、勉強するのは、「今しかないでしょ」ということになります。
置き去りにされた英語力、結局自分の好きな勉強も将来必要とされる勉強も中途半端なまま、就職となるケースがほとんどなのが、いまどきの学生の現実かもしれません。それでも就職できるだけマシなどというのであれば、一体、私たちの先代が築いてくれたジャパンアズナンバーワンのプライドや力はどこに消えてしまったのでしょうか。
ここに一つの仮説が成り立ちます。
日本が高度成長を果たした時期に大学生であった人は、多様性やグローバル化などといった概念はあまりなかったと思います。日本製のものが世界で売れて、日本は人類の歴史上まれに見る敗戦からの復興を成し遂げました。日本の復興を支えたのは、戦後のどん底から這い上がってきた人たちの異常ともいえるくらいの努力、使命感、ハングリー精神などによる重工業の台頭です。
安くて、性能の良い日本製の車、電化製品、その他の生活用品などを、大量に生産し、それを大量に消費できるマーケットが日本以外の国に無限にあるように思われた時代です。
その確立された産業を支えるために、望まれる人材というのは、徹底して真面目に組織の言うことを聞き、従うということができる人であったわけです。個性や多様性など必要ない時代であったといっても過言ではないと思います。
しかし、いずれの世界、分野でも同じですが、良いものは必ずまねされますし、同じような性能で廉価版が作られます。そして、私たちの生活に必要な車や電化製品もおおよそ世界に浸透していき、日本の高度成長期のような、大量生産、大量消費が世界で通用しなくなっていきます。
諸行無常ともいえる経済の動きを、日本では、それが崩壊するまで気づこうとしませんでした。
(つづく)