ボーディングスクールが生徒に望むこと ― 6 情操・スポーツ教育
<金曜日のブログに続きます>
情操教育に肯定的に、真剣に、そして積極的に、に取り組むボーディングスクールですが、私はその根拠を「ホーム・アウェイ・フロム・ホーム」という言葉に託しました。10代半ばの子どもたちが、あえてそのホームベースから離れて、暮らすが故の必須概念の背景に、興味があることに夢中になることで、家からはなれている寂しさ、不安といったことを払拭するというボーディングスクールの考え方があると思います。
それに比較すると、日本の教育というのは、とてもストイックで、学ぶことの範囲が限定され、アプローチの方法まで相似形のようではないかと思います。ひとことで言うと、ワンパターンなのです。
本来、ストイックであることは、とてもいいことです。真面目にものごとに取り組み、期待される結果に向けて最善の努力をするわけですから。問題は、いったんそのパターンが決められると、それを変えないという私たちの組織論的な問題にあると思います。
私立校に通う中学生の留学をお世話するときに、学校からその詳細を聞かれることがあります。海外で学ぶということには、賛成しても、長期の留学については、「前例がない」ので、どのように対応していいか学校がわからない。文科省に聞いても、教育委員会に聞いても、要を得ないということです。
親の仕事の関係で海外に家族ごと移る場合と単身での留学も手続き面では変わらないわけですが、物理的な面よりも、先生自身が前例のないことに「チャレンジ」することを反対されるケースが多いのです。―本題に戻ります。
ボーディングスクールの教育理念の根本には、自発性ということがあって、この力を最大に活かして、「学ぶ」という実は単調でともすれば退屈になる作業を子どもたちに取り組ませているといえます。この自発性というのは、10代の子どもの場合、いつどこで、どのような形で、現れるか予測することがとても難しいことなのかもしれません。故に、いろいろな可能性を考えてその仕掛けを用意しておくということにボーディングスクールはこだると思います。
「しかし、スポーツ、芸術、音楽、学問への自発性は同じだろうか」という疑問は当然のことながらあると思います。スポーツに自発的に取り組んでも、好きでもない勉強に子どもたちが同じように自発的に取り組むようになるだろうかということです。
もし、そうでないならば、ボーディングスクールにおいて、あれほど徹底してスポーツ施設を充実させたりしないと思います。また、それは芸術面についても同じことが言えます。
スポーツや情操教育を重視した、自発性への取り組みは、ボーディングスクール独自の学校文化といえると思います。