留学と就職2
<前日のブログに続きます>
謙虚さ、寡黙な努力、丁寧さ、控え目といった英語圏文化とは違う日本固有の文化特性を生かすことができたから、日本の戦後の復興がなしえたと考えられると思いますが、それでもそのような特性が未来永劫に万能であるとは限りません。
周囲の環境に合わせて、臨機応変に対応できないと、結局時代の流れの中で生き残ってはいけないと思います。
人類の歴史を見ればあきらかなように、隆盛を誇った数々の国々もその文化も必ず衰える時が訪れます。
戦後、世界をリードし続けてきたアメリカがその勢いに翳りを見せ始めたのが七十年代、冷戦を経て、ソビエトが崩壊したのが八十年代、日本のものが世界で売れに売れてピークを迎えた八十年代後半、ジャパンアズナンバーワンがこれからもずっと続くと思った瞬間にバブルはあっけなくはじけてしまいました。
本来、まじめで、勤勉で、努力を惜しまず、謙虚であった日本が一所懸命に努力して、世界に認められる仕事をして、貯めたお金はあっけないほど簡単に不自然な不動産投機などに利用されて、行き詰ってしまったように私には思えます。
それ以降、日本もアメリカも経済においては、元の勢いを取り戻せないまま、現在に至っています。そして、これからどうしたらいいのか、みな暗中模索を繰り返しているなかで、私は日本の教育そのものが、グローバル社会にチャレンジするのではなく、旧来の知識偏重、学力競争の傾向により拍車がかかっているように思えてなりません。
知識、学力といったものを、なるべく早い時期に子どもたちに植え付けさせるために、問答無用で勉強が強要されているように思えてなりません。彼らのポテンシャル(能力)を引き出すためには、それぞれの子どもの得意なものを伸ばし、そこを持ちあげることで、欠点を補強するという単純な作業がなされているでしょうか。
表題の「留学と就職」というテーマからかなり遠ざかってしまっているのを意識しながらも、私は結局、これからの時代の生き方は、その流れに乗るのではないと思うのです。なぜならば、そのような流れはどこの分野でも昔のようには存在しないからです。乗りさえすれば、安定が保証されるという仕組みはなくなってしまったと考えるのが、グローバルの仕組みではないかと思います。
流れを自分が作るあるいは、自分に合った流れを探し出して、一緒に流れを作っていくというくらいの意識をもたなければ、結局は自分が納得できる就職も人生も歩めないのではないかと思います。