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留学生を通してみる日本の教育-2

<先週、土曜日のブログに続きます>
社会人になった人の実用英語力のなさを確認するまでもなく、留学生の最初の一か月間の現地での現実を知れば、彼らが学んできた英語が、実用とは、かけはなれているものであることがわかります。また、中等教育を日本だけでなく、その範囲を英語圏に拡げて考えてみると、教育の魅力が拡大すると私は思います。私たちは今、「学び」に対して、よりすなおになってもいいのではないかと私は思います。
留学生諸君は、留学して自分のイメージしていた「ガイコク」があまりにも現実とかけ離れているために、精神の闇への真っ逆さまに落ち込まざるを得ないのでしょう。自分が今まで学んできたことが、新たな環境のなかでまったくわからなくなってしまうのです。「たくさんの試験やテストに一喜一憂してきたが、一体、わたし(あるいはぼ)は何を目指すのか、(人生を)どうしたいのだろうか」、子どもたちは与えられた現実を受け入れると同時に、自分の置かれた状態とそこからのサバイバルに精魂こめて取り組みます。これがカルチャーショックの実際であると私は思っています。
使える英語を日本では教えているでしょうか。使える英語とは二種類あります。ひとつは生活レベルの英語、もう一つは仕事や学業レベルの英語です。社会人のためのビジネス英語、ビジネス英会話などといわれるのが、仕事レベルの英語に近いかもしれません。その実態は何かといえば、合理的に読み、書けるということに尽きるでしょう。また、ものを売ったり、買ったりするために合理的に話し、聞くのがビジネス英会話でしょう。
ビジネス英語では、単語を五千語以上覚えないといけないのでしょうか。また、仮定法や分詞構文なども正確に使えないとビジネス英語は成り立たないのでしょうか。私は違うと思います。英語というコミュニケーションツールはそれほど複雑では決してありません。
さて、私は日本の英語の教科書が大好きです。内容が素晴らしいものが多い。Catcher in the Ryeが平明な英語で解説されていたり、エドガー・アラン・ポーの短編の一説があったり、自然科学、歴史、現代社会とその内容は、私にとって興味深い内容です。これらの教科書を生徒と勉強することは、私にとってとても楽しいことです。しかし、なぜ日本の中高生は、こんな素晴らしい教科書がたくさんあるのに、学校教育の英語のみでは、留学に太刀打ちできないのでしょうか。
おそらく、日本の生徒たちには先が見えていないのです。
英語が受験ツールとしての機能肥大になっていて、本来のコミュニケーションツールとしての魅力を彼らは感じることのないままに、十代を駆け抜けてしまうのではないでしょうか。受験用の英語に正解することの訓練に明け暮れてしまい、本来の英語が使えないのです。また、使う必要もないのです。
私はこの受験英語仮説が外れてほしいと思います。なぜならば、十代の子どもたちが、自然に抱く疑問、すなわち、「こんなことして英語話せるの」ということに、まともな回答も得ずに、「大学受かるためにはしょうがない」などと言ってほしくはないのです。
<つづく>

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