迷える青年 - NZ留学の現実 その2 留学初日
日本ではお母さんを渡航寸前まで、イライラさせた挙句に、
結局は最後まで包括的面倒を見させるに至った「迷える青年」は、
たまたま渡航日が重なった同い年の青年と一緒に、後ろを振り返ることなく、
出国ゲートに向かったと、もう一人の青年のお母さんが言っていました。
迷える青年一行は、地球を縦に横切り、半日ほど飛行機に乗り、
Aucklandに到着しました。
私はあえて出迎え人を手配して、Christchurchへの国内線乗継を
彼らが心配なく、確実に行えるように準備していました。
ところが、二人は出迎え人と会えなかったのです。
(どうして会えなかったか、私は現在調査中です)
乗り継ぎ時間は1時間30分、迷える青年は、もう一人に
荷物の番をしてもらって、出迎え人を探しますが、それも限界。
彼は、まよわずに、二人で国内線に向かう決断をします。
二人は国内線搭乗ゲートが閉まる五分前にそこにたどり着きました。
無事、彼らはChristchurchに到着し、
それぞれのホストファミリーと会うことができました。
ついに、留学のスタートです。
すでに彼に「迷い」はありません。
お母さんによれば、「理屈は達者だけど、行動が伴わない」のですが、
いざという時の精神的、肉体的瞬発力はとても鋭い彼は、
もしかすると、お母さんという太陽兼世話役とは、
距離を置いたほうが良いのかもしれません。
いつも、目の前でギラギラと照らされていると、
眩し過ぎて、かえってものが見えなくなる。
それでいても、太陽は輝きつつ、まんべんなく世話をやいてくれる。
この親子の構図は、いつかバランスを崩して、
再構築されなければならない運命なのだと思います。
彼の場合は、その崩すタイミングが今、やってきているのだと思います。
お母さんがリードしたかたちであらわれた留学ですが、
青年が「母がいてあたりまえ」という考えから、「母のために」へと、
発想を変えてゆくのも私は時間の問題だと思います。
彼らと行き違いに日本に到着した私は、
Aucklandでの出迎え人と会えないという騒動への対処が
後手に回ってしまいました。彼らには、すまないと思っています。
そして、そのような緊急時でも、自分たちで判断し、
良い結果を出せた彼らに私は救われました。
青年の滞在しているホストマザーにHow’s he doingと尋ねると、
He is doing OK. He is a lovely boy.
Please tell his parents that they should be proud of him.
これは最高のほめ言葉と私は思います。
そのあとに、彼と話しました。
―やあ、元気ですか。
「ええ、斉藤さん、このホスト最高ですよ。それに、同居している留学生(アジア人)もスポーツ好きだし、すごくいいやつだし。あと、学校もいいですよ。まあ、これからだけど」
―そうか。では、兄を早く超えてほしい。
「あっ、兄ちゃんですか。そうですね」
日本にいた時は、アメリカボーディングスクールに留学し、
帰国して日本の大学で学ぶ兄をかなり意識してライバル視し、
「絶対に兄を超える」と理屈を言っていた彼ですが、
留学をしてみると、「兄を超える」という「井のなか」的発想から
解放されたようです。
もうすぐ、青年は、兄ちゃんのことを超えるのでなく、
尊敬できるようになるのではないかと思います。
次回、青年がニュージーランドでの初めの学期を終えるあたりで、
彼の状況を確認したいと思っています。