留学コンシェルジュ

こころの時代の教育-なぜ勉強が必要か?

今日の表題は、口には出さないけれどもほとんどの子どもたちが
疑問に思っていることではないかと私は思います。
勉強は将来誰に対してどのような役に立つのか、
誰でも無理に勉強を強いられれば、強いられるほど、「なぜ」という
疑問を強く感じるのではないでしょうか。
このブログを読んでいる皆さんは、この質問にどのように答えますか。
私の目指している「納得する留学」には、なぜ勉強するか、
に対する明確な解答が必要です。
「なぜ」を追求してゆくといろいろな障害(既成概念)にぶつかります。
たとえば、「将来のため」、「より満足のゆく生活のため」、
「○○を達成するために学歴が必要だから」、「学力は力」などなど、
そして、結局「生き方」にたどり着きます。
「生き方」という授業を持っている学校は日本にはありません。
ボーディングスクールにおいては、religionという科目のある学校は
生きるという概念を世界の宗教から引用して生徒に教えます。
しかしながら、それが科目のメーンを占めることはなく、
中等教育においては、もっぱら若さゆえの精神の柔軟性と
闊達な記憶力を利用して、知識を詰め込んでゆくという作業が、
世界中の「学校」で行われています。
私個人としては、なぜの追求こそが学ぶ原点であると思っています。
そもそも、学問がなぜ生まれたのか。哲学、社会学、経済学、法学、
医学、科学、語学など、細分化すればきりのない、学問の世界ですが、
それらが私たちの日常にどのようにかかわり、なぜ必要なのか。
学問とは「人々を幸せにするために生まれた」と私は信じています。
世の中が発達すればするほど、技術や情報は細分化されます。
どの分野を取り上げても、みな人々の生活を豊かで便利にするために
追求されていることは間違えのないことと私は思います。
その基本をなすのが、初等教育、中等教育であることも事実と思います。
しかし、基本であるからこそ、子どもたちが心底興味を持ち、
なぜを追求したくなるような仕組みを作らなければ、彼らは知識の弊害を
こうむることになりはしないでしょうか。
国が決めた高校までの教育課程を2-3年前倒しにして、
大学受験に対応する。興味や趣味などに関係なく、「学力」が
受験する大学までも決定するといった日本の教育の現状を
私は、知識人たちの人生あるいは教育に関係のある著書から知りました。
それと並行して、オフィスに訪れる留学希望の家族からも
それに類するお話しをたくさん聞きます。
それ故に、私は「納得する留学」を追求します。一人の力は微々たるものですが、
必ず応援してくれる人々がいると信じます。それらの人に納得してもらえるよう、
学ぶことの楽しさを考え、多くの人に問い、発表したいと思います。

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