留学初期 - 周囲が見えてきて
留学して、2ヶ月目、少しずつこころの視野が拡大されるなかで、
留学生たちの適応への模索が始まります。
まだ、頭の中は日本の文化そのものですから、
現地の生徒たちの行動を日本的に理解しようとするのですが、
うまく行きません。
留学生たちは考えます。
留学生から見た現地の生たちの傾向をまとめると、以下のようになります。
-彼らはどうして約束を平気で破るのだろう。
-すべてにおいて忘れっぽい。
-ノリはすごくいいけど、その場限りで続かない。
-表現は大げさで、直情径行、大人も子どものように喜び、悲しむ。
-先生と生徒が友達みたい。
-(自分は)英語がよくわからないのに、気にせず平気でしゃべる。
-相手のことを気にしない。
結果的に適応不良を誰でも起します。日本で優等生であってもなくても、
スポーツが万能であっても、芸術に優れた才能を持っていても、
友達作りが得意であっても苦手であっても、
要するに物理的、精神的に本人の精神を支えている、
考え方というソフトウェアのプログラムが違うわけですから、
ウィンドーズとマックのOSの違い以上に、今までの「常識」が通じません。
年齢が増せば増すほど、このOSの入れ替え、ないしは切り替えが
難しいように私は思います。
「これでいいのだろうか」と幼い精神は迷い、悩み、ふさぎがちになります。
「あなたが望んでいったのでしょう」という荒療治を敢行するお母さんもいますが、
もちろん、本人の性格を十分に把握したうえでのことです。
一般的には、かなり性格的に気丈なお母さんでも、本人に寄り添い、
(もちろん、こころがということです)粘り強く彼らの意見を受け止め、
1時間以上も時間を費やし、子どもたちが必要としているものを送ります。
留学当初の半年間でとても重要なことは、
親の子どもに対する「関心」であると私は断言できます。
これは当たり前のことで、子どもに関心のない親がいるわけもないのですが、
問題の核心は、自分の子どもに対する関心事がどうしたら、
正確に子どもに伝えられるかということです。
「どうしたらいいの」と言っても言わなくても子どもたちは
おおよそそのように思っていると思います。それに対して、
「現場が見えない」というのが、お母さんの正直な心情です。
しかし、本人が日本にいたときは、現場が見えていたでしょうか。
また、本人から言葉にない「どうしたらいいの」という信号に
どこまで気づけたでしょうか。
物理的には離れていても、問題の本質は私には同じように思えるのです。
日本にいたときは、本人が側にいる状況だから、お母さんとしては
いつでも対応できるという安心感があります。
海外では、何かあってもすぐに行くことができないという不安感があります。
つづく