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KOの留学物語-父は東大、ぼくはニュージーランド1

ぼくの名はコー、ニュージーランドでは友達にそう呼ばれていた。父は東大出の設計エンジニア。建設会社に入った。父の仕事でぼくと姉は3歳から8歳までサンフランシスコ、ロサンゼルス、サンディエイゴ、8歳から10歳は日本にいたけど、11歳から14歳をマレーシアですごした。ぼくは中2から高校受験にそなえて帰国した。
父が東大に入った理由は、ぼくのじいさん、すなわち父の父に対する強烈な意地だったそうだ。父はすごくまじに会社のために働いた。父の学習力にぼくはかなわないと思う。父はぼくに学歴の面では何も強制はしなかった。普段は優しくて、ぼくと姉に対して怒ることはなかった。ただし、アメリカ時代にぼくと姉に勉強を教えるときはとっても鬼だった。厳しく、妥協はなく、ひたすら勉強させられた。それをぼくたちは当たり前と受け止めていた。
小学校と中学校で10回以上転校したぼくは自分なりの友達の作り方と良い友となれるやつの見抜き方を学習した。それがぼくにとって常に新しいといっていい、学校社会で生き残ってゆくために必要だったから。学習力は父にはかなわないけど、学校社会でのサバイバルという点では父には負けないと思いう。ぼくは、はじめから転校生として皆と親しく寄り添いもしないし、自分の素性など決して話しすこともない。クラスのやつにとってぼくの素性など興味のないことだから。ぼくにとっては半年から1年の学校生活。黙ってじっくりと一人一人を観察した。そして、短期間で心を分かち合える友達をみきわめた。高校に入るまでにずいぶんと学校での人間関係には苦労もしたけど、複数の世界を見ることができた。父のおかげだと思っている。
ぼくは日本の私立高校に入学した。進学校だった。入学式で居眠りしていた新入生を校長が壇上で怒鳴った。そんな学生は要らないという。なぜ要らないかは説明がなかった。そいつはほどなくして退学した。日本の高校は軍隊みたいだと感じた。 
つづく

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