失敗の効用2
先日のブログで私は世界には多くの「教育」のかたちがあると述べました。
初等教育まではおおよそ一般教養として国語、数学、理科、社会、体育、芸術を
学ぶということにおいては英語圏の国々の教育に限定すれば、
日本と大きな違いはないと思います。
中等教育に入り、英語圏の国々はイギリス方式、アメリカ方式、IB方式に
大別されることもすでに私のブログを読まれている方は
ご存知のことと思います。
高等教育(大学や専門学校)を受ける準備として、
後期の中等教育において1年ごとにやるべきことができているか確認して、
ステップアップするのがアメリカ方式。
自分のやりたい学習に狙いを定めて、集中特化してゆくのがイギリス方式。
それぞれの分野(科目)に独自の基準をもうけてクリアしてゆくのがIB方式。
私は大雑把ですがそのように考えています。
さて、いずれの方式が自分に合っているかを選択するというのが、
これからの教育を考える上で大変重要であると私は考えているわけですが、
方式の選択のみならず、それを受け入れる子どもたちの基礎知識を
基礎教育と応用教育に分けて考えることも過去にご紹介させていただきました。
基礎教育とは、応用教育(知識学習)のための土台となります。
学びを効率よく、健全に行なうための基礎がいかに重要かということは、
私が述べるまでもなく、年齢を問わずに多くの人の課題あると思います。
「失敗の効用の話」は、基礎教育にその考え方があります。
問題を解決する方法論を含めて知識を増やす「覚えこむ教育」は、
正解、不正解がはっきりしていて、その量の把握が比較的容易に
出来ると思います。
それに比べると、創造性、発想のおもしろさ、得意な分野のみの特化などは、
なかなか客観評価や総合評価が難しいと思います。
覚える教育は、その範囲と内容が明確ですから、
計画的にすすめれば、大きな失敗はしません。
ところが、創造性、発想性、特異なことへの専心は
評価基準が客観的でないので、認めてもらえないことも十分考えられます。
必然的に失敗が多くなると思います。
失敗は精神的には大きな負担です。
しかし、私たちの生活から失敗がなければ、
進歩も発展も期待できないのも明白であると思います。
失敗への耐性を私は留学を通じて、子どもたちが実を持って体験できる
もっとも重要な基礎教育と思っています。
英語力、社会経験、異文化体験など乏しいなかで、
万事が成功裏にすすむとはとても考えられません。
日常におこる問題を一つひとつ自分で解決してゆかないと、
いちいち失敗を親や人に報告しても解決にはなりません。
問題は失敗の本質にありますが、たとえそれが多少の理不尽さを
含んでいたとしても、英語力、文化習慣の違い、社会性という点では、
子どもたちは不利な立場に立たされざるを得ません。
それでも挫折せずに皆、現地で生活しています。
それが私の考える「生きる力」ですが、
失敗は成功の母という言葉を実感しています。
それを受け入れられる、それを乗り越えられることこそ、
子どもたちに学んでもらいたいと思っています。