失敗の効用1
明日、地方の私立高校で一年間留学についての説明を行ないます。
1時間あまりの説明のなかで、私は「何が言いたいのか」を模索しています。
行く地域も学校も特定されていますから、
初回のカウンセリングと条件は全く異なります。
しかし、留学を決めた家族の「知りたいこと」に
それほど違いがあるとは思いません。
親にすれば、わが子にとって留学が将来設計のなかでどんな役割を果たすか。
その前に、留学するところの安全は確保されているか、
本人は英語が話せるとは思わないが、それでやってゆけるのだろうか。
学校はどんなつもりで本人の受入れを承諾してくれるのか。
そして、費用はどのくらいかかるのか。
留学する本人にしてみれば、英語力が気になる。
海外で親とはなれて暮らすということに、不安がないわけではないが、
これも自分で決めたチャレンジだから、「挑戦します」。
私は留学の効用を「苦労すること」、「品を身につけること」に集約しています。
そして、いろいろな角度からそれを考えてブログで発表し、
カウンセリングで、時には留学講演といったかたちで
皆さんにお伝えしています。
留学ということを通じて、本人の将来設計の一部に加担し、
彼らが少しでも自ら「納得のゆく」設計図が書けるように、
アドバイス、情報提供、そして現地とのやり取りを通じて応援をしています。
そして、その作業を続ければ続けるほど、
本人および家族のバックグラウンドを知ることになり、
その違いで同じ留学先でも、180度違ったストーリーがあることを
知るに至っています。
ふと気づくと、文化論に強烈な興味を抱き、
それをライフワークとしている自分がありました。
それぞれの家族の背景にある日本の文化、生活、習慣や
子どもたちが出かけてゆく国々のそれらが有機的に結びつき、
いろいろな化学変化を起します。
もちろん、子どもたちの頭から煙が立ち上ったりするわけではないのですが、
私はやっきになってこの「化学変化」の法則を知りたいと思っています。
日本の子どもたちの10代の日常は、もちろん多種多様であるわけですが、
21世紀は「こころの時代」と言われながら、その社会の上空には、
「勝ち組み負け組み」、「大学受験」、「就職氷河期」、「海外に出たがらない若者」
などの強烈な社会的偏西風が吹いている気がします。
さらにその上には、私たちが手に入れた「豊かで便利な社会」が
あるのではないかと私は空想をしています。
いったん手に入れた豊かさや便利さはなかなか手放せません。
そして、子供たちがその豊かさや便利さをそのまま持って海外に行ったとすれば、
一瞬にして異文化という強烈な突風にさらされることになります。
誰でも新たな環境に適応するために、豊かさや便利さとかけ離れた
不便さや寂しさ、時として精神的なひもじささえ感じざるを得ません。
文化の消化不良に特効薬はありません。
それでも、どうにかしてあげたいという親心を
私は30年間見てきたのだと思っています。
私がいつもカウンセリングで言う、
「仕事の半分以上はお母さん(お父さん)としています」ということの真意は、
「子どもの失敗を見守って欲しい」、
「彼らには親を離れて苦労させてほしい」、
「彼らと対等な目線で話して欲しい」
というメッセージが含まれています。
世界にはたくさんの教育があります。
そして、それぞれの教育にその利点と欠点があると私は思っています。
つづく