日曜コラム-憩いのとき
いろいろな生徒に英語を教えていて、
余談に花が咲くとき、私は充足を感じます。
スピーチをしていて、生徒たちに自由と責任の使い方を
説明しているとき、希望や夢を感じます。
誰かの役に立っていると感じるときが私は、
一番満たされているときだと思います。
電車の中刷り広告、「土曜日に学校があることに賛成90%」
というのを目にしました。
だから何なのだろうと感じました。
問題は何をどのように教えるかということであり、
学校に行く時間数を増やすかどうかなど、
子どもの関心事ではありません。
彼らはあるがままの現実を受け入れる。
だから、勉強時間を増やそう、
もっと勉強をさせようと大人たちは言いたいのだと思います。
現場の先生たちも公と私のはざまで大変であると思います。
私はコンサルタントですから、クラスは持ちませんが、
かかわった子どもたちと絶えず向き合っていたいと思います。
そして、彼らの家族とも向き合っていたいと思います。
学習の時間数を増やしても、
学習量を増やしても、
その中身と現場の声が同調しなければ、
学術習得技術は向上しないばかりか、
子どもには学習義務の負担を増すばかりです。
もちろん、留学が特効薬になると安易には結びつかないでしょう。
しかし、留学が新たな人生のきっかけになると私は信じています。
それに至る道はたくさんありと思います。
それぞれの家族の道筋を考え続けたいと思います。