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基礎教育について2:単純明快な論理

基礎教育はすなおなこころを反映し、
人の持っている生きる力への意志を原点とします。
ゆえにそれを教える人は素直な子どもからの質問に明確に答えなければなりません。
「なぜ勉強するの」という質問です。
誰しもが思春期に考える質問ではないでしょうか。
そして誰しもがはっきりとした答えを自ら追求することなく、
また結局は誰からも導かれることなく、自分を励まし、時に叱咤し、
慰めてつまらない勉強を継続していると私は思っています。
使い捨てだからつまらないのです。テストが終わればこころの「ゴミ箱」に
移されてもかまわないファイルほどの価値しか見出せない。
若い人たちにとって、この時間と労力の無駄使いは、大変悲しいことです。
本来、勉強というのは人が人を幸せにするために、生み出され、磨かれ、
追求される、そのような性格のものだと私は思っています。
ありとあらゆる「学問」はその目的のために、
人の英知が生み出したものではないでしょうか。
私が担当する生徒にはそのように明言しますし、
自分の子どもにも私は、父親として一生それをいい続けるでしょう。
ですから、人と競争する必要はない。地頭の良さを競い合い、磨くことが一体
どんな意味を持つのか、私は子どもたちに考えてもらいたいのです。
お互いが共存しお互いを生かすためこそ、人の知恵や技術は
使われるべきだと私は思います。
私のある友人は幼少の時から勉強とはよい高校からよい大学に進むために必要で、
結果としてよい人生があると周囲から教えられたそうです。
彼曰く、「世の中を良くするために勉強するのだと教えてくれる人が
周囲にいなかった」ということです。
すなわち、勉強しないとろくな人生がおくれない。
勉強をしないと、よい仕事につけず、したがってよい家庭もない。
もし、これを幼少期から周囲に刷り込まれたとしたら、
その子は勉強をどのように捉えるでしょうか。
初等教育のころは子どもたちを押さえ込めても、中等教育ともなると、
精神的にも肉体的にも力が倍増します。
「どうして、お勉強するの」という時期は、
「お勉強たくさんするとね、偉くなれるの・・・」と切り返せても、
「人間にとって学習はなぜ必要か」と精神の原野が広がってくると、
「学習により、人はより高度な物心の満足を得る」などと反論しても、
「物心を満足させる価値観は人によって違うのに、
なぜ嫌なことを強いられるのか」と理屈ではかなわなくなります。
しまいには、「問答無用、親に従え、お前のために言っている」
となり、江戸時代の儒教的精神を引用すれば、
「それはおかしい。論旨がちがう」と徹頭徹尾、理屈でもって子どもたちは
切り替えせざるをえないと思います。そうしないと、解答が出ないのです。
確かに話の本題は「なぜ勉強するか」ということであり、
親孝行についてではありません。
基礎教育の根本には学習にたいする精神的準備と受け入れがあります。
それが子どもの成長によって変わるのはおかしいと思います。
基礎教育を貫く単純明快な論理は
「自分を生かすために人と共に生きる」ということです。
この原理原則に基づいて、小さいときから「なぜお勉強するの」に
答えてあれれば、教育基本法に謳われている「社会正義」はより具体的に
なると私は思います。
つづく

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