留学コンシェルジュ

基礎教育について:原点にあるもの

教育の分類についてはたくさんの見解と研究があると思います。
私は教育に対しては、誰にも負けないくらいの関心を持っています。
特に異文化の中での10代の子どもたちの適応力について、
彼らの無限とも言える可能性を「知ってしまった」ことへの義務と責任として、
コンサルタントという仕事を全うしようと思っています。
そのために私は教育を、「基礎教育」と「応用教育」に分けて考えています。
しばらくの間、基礎教育について考えてみたいと思っています。
基礎教育の原点にあるものは言うまでもなく「生きる力」です。
生きる力のない人間はいません。このことについては、9月13日より6日間、
「無人島での15歳」というテーマでブログに掲載しました。ぜひご参照ください。
日本では知育、徳育、体育というように教育を分けていますが、私の基礎教育とは、
徳育という分野ともその概念を異にします。もちろん、知育ではありません。
(知育を私は応用教育を分類し、別の機会にブログ掲載を考えます。)
なぜ、徳育と違うかというと、私の考えている基礎教育というのは
倫理規定ではないからです。英語でいうDOs and DON’Tsではないのです。
もっと精神の意識、無意識の部分までをカバーするものです。
情報として取り込むものではなく、自らのこころから沸いて出るような、
感情の流れの体系と表現したいと思っています。
もちろん、人の感情は放置しておけば社会性の枠を容易に飛び越え、
なりふり構わず放言壮語、自由闊達に振舞うものですから、それを積極的に
制御する論理体系ということになると思います。
それは、キリスト教でいうところの愛であり、仏教でいうこところの空に
帰結してゆくと思います。
私は基礎教育なくして、応用教育はありえないと確信しています。
基礎教育は筋が通っていて、極めて単純明快で、誰にでも平等で、
普遍的であり、すべての社会生活に応用できます。
「そんな都合の良い教育などあるわけがない」と思われるかもしれません。
私は前述したように、「子どもたちの無限とも言える力を知ってしまった」
人間として、それをどんなに困難でも一人でも多くの人に伝え、
一人でも多くの人がそれを実践することに喜びを感じるのです。
余談ですが、ある友人に私が息子の就職について、
「自分の好きな仕事を、『人に迷惑をかけることなく』全うしてほしい」というと、
彼は、日本人は迷惑をかけないと気安くいうが、
本当に迷惑をかけないといえるだろうかと問題提起しました。
「インドでは迷惑をかけるのは必然、それを承知しそれでも許されることに
感謝しろと教えるそうだ」とのことでした。
私の考えている基礎教育の原点には、すなおなこころがあります。
好奇心に満ち、なぜだろうと恒に考え、自らの意見を率直に伝える、
そんなこころは時として、生活のさまざまな状況で既成概念や、常識などの
反発をくらうこともあります。
それでも、私は基礎教育を貫きます。
その方法や要素を今週、考えかつ述べてみたいと思っています。
つづく

関連記事

関連キーワード

留学コンシェルジュ

TOP

株式会社KITE小学生・中学生・高校生専門の海外留学サポート イーコンシェルジュ / 運営(株)KITE〒102-0082 東京都千代田区一番町6 相模屋本社ビル7FTEL 070-8381-6486