日本と英語圏教育の違い:こころの教育2
戦後のどん底からの這い上がり、自らを叱咤し、困難な時代を勝ち抜き、不可能を
可能としてきた日本人の特性として、勤勉、誠実、正直などがあげられると思います。
そして、私たちは一所懸命に努力し、団結して、組織が生み出す「もの」の質を
研究し、最大限に高めた結果、世界の市場に認められる商品を
生み出すことに成功しました。
ジャパン・アズ・ナンバーワンといわれましたが、プロダクトの価値は
独り歩きし、その精神の真髄は車、電化製品ほどには
世界を席巻するには至らなかったと思います。
余談ですが、スターウォーズのヨーダは明らかに東洋の精神の持ち主であり、
フォースの正体は一人ひとりの精神の力が宇宙と
結びつくときに生まれると私は解釈しました。
物理的なちからをたよる若きルーク・スカイウォーカーにヨーダは
身をもって宇宙を支配しているフォースの善なる使用を解きます。
「これは東洋の文化ではないか」と思ったのは私だけでしょうか。
ところが、経済観念のみが発達したさわやかでないキャラクターが登場した時、
その言語性や風貌に私はなにか日本人が揶揄されていような印象を受けました。
もちろん、フィクションの世界に文句は言えませんが、
「エコノミックアニマルじゃない」と私は叫びたい衝動にかられました。
本題にもどります。
その成功が永続するのであれば、「教育」に変革を求める必要は先送りに
なっていても不思議ではありません。
しかし、日本の成功はバブル経済の崩壊と共に崩れ、それまでの年功序列、
終身雇用といったシステムを吹っ飛ばしてしまったと私は思います。
問題は新たなシステムや価値観などの「再」構築であるわけですが・・・、
自己選択、自己責任という概念は、今や子どもの教育という世界にも
必要不可欠な要素になっていると思います。
21世紀はこころの時代といわれます。
人も社会も原点に帰るのではないかと私は考えています。
原点とは、私たちが世界に誇れる勤勉さ、誠実さ、正直さが本当に価値があり、
それに基づいて生きてゆけば納得できる人生が生きられる-という価値観で
あると思います。
「グローバル時代の教育」というタイトルのブログを以前書きましたが、
グローバル時代を実感し、対処しなければならないのは企業です。
その社会の最前線の考え方や行動が、大学を経て高校、中学、小学校まで
伝播して「教育」の根本を変革するまでにはとてつもない時間が
かかることは仕方がないことなのだと思います。
たとえば、「ゆとり教育」が導入され、それが廃止されるまでの経緯を
みれば「時間」の問題は明らかです。
本来なら、社会の動きが大学にすぐに跳ね返り、それを受けて中等教育くらいは
フットワーク良く臨機応変に対応できればよいのでしょうが、
そのようにはうまくは行かないようです。
つづく