小・中・高校留学-留学効果
認識の原野を彷徨しながら自分を見つける過程というのは、
自己啓発の世界を彷彿させることがらのように思えます。
自己啓発のさまざまな自分発見へのアプローチ方法は
大学生以上の成人には大変魅力的な要素を含んでいるようです。
結局のところ、どのような自己啓発であっても、自分自身を知ることに
その目標があるように思えます。
自分自身を知れば、社会にあって自分が何を求めるかを理解できる。
そのために、人や組織とどのようにかかわるかが明確になるのだと思います。
好むと好まざるとにかかわらず、子どもたちは
勉強を9年間の義務教育で学び、高校へと進学します。
もし12年間、誉められず、認められず、「将来のため」という本人にしてみれば、
漠然とした目標に向って、ひたすら努力を強いられれば、
誰でも迷うこともあると思います。
そして、やっと大学入試を突破し、厭な勉強から解放される。
こんどは、就職という人生の関所が待っている。
極端かもしれませんが、もし仕事が我慢と服従の連続であれば、
「自分の人生とは何か」と考える若者が増え、自己啓発に救いを求める、
人たちがたくさんいても不思議ではありません。
私は幼少時から、自己啓発を親子であるいは、
学校もそれに取り組む方法はないものかと思います。
幼少時を海外で過ごし、思春期に日本の中学、高校で先生とぶつかり、
高校時代の大半を英語圏で過ごし、
難なく都内の私立大学に入学した生徒がいました。
彼にとって、自己啓発は小さい時から、日常にあったと思います。
彼は、大学のゼミでフィリピンのごみ山で生計を立てるある人に
「あなたはなぜ、このような仕事に従事しているのか」と質問したそうです。
「家族を養うため」とその人は答えたそうです。
彼は、その時に人生を悟ったそうです。
愛する人のためなら、なりふりなど一向に気にしない、
それで人生は成り立つのだと心から納得したのだと思います。
愛とはそれほどまでに強い。そのことを若くして知り得た彼は、
幸いであるといえるのではないでしょうか。
留学したから、結果として悟ることができたのでしょうか。
それは、これからの長い人生を通じて彼が自ら解答を出すでしょう。
しかし、認識の原野を彷徨っていた彼にとって、
留学が果たした役割は大きかったと思います。
10代の彼の自由闊達な精神は、残念ながら日本の教育環境の中では
素直には伸びてゆけなかった。
英語圏のほうが、彼にとっては幸いな環境であった。
納得できないことは校長とも話ができた。
彼が獲得した英語というコミュニケーションの道具は、
テストの点数に左右されずに、余すところなく活用された。
彼は新たなる人生に取り組んでいる最中です。
私は留学する生徒たち、一人ひとりから学びます。
そして、自分が学習したことを、自分が信じることを、
これからの世代の「家族」に伝えてゆきたいと思っています。