教育は世界で選ぶ―チャレンジの精神
中学、高校時代の留学にとってチャレンジ精神こそが、
最も尊重されるべきではないかと思います。
先週末にアメリカボーディングスクールの合格発表があり、
一喜一憂するなか、当事者の生徒のことを考えると、合格のうれしさ、
不合格の悲しさに私自身の気持ちも揺れ動きます。
「第一志望は譲れない」と受験生なら、おおよそ目標を定めて努力しますが、
留学という世界は、日本の受験と違います。
第一志望に受け入れられても、そうでなくても、
海の向こうの世界は広大であり、未知の情報であふれています。
偏差値という正確な合否基準の物差しがボーディングスクールにはなく、
テストの点数という単一数値では到底、合否が決まるものでな無い分、
その合否は、予想が困難な場合も多くあります。
留学の原点に立ち返ってみると、その可能性は、チャレンジの精神にあります。
どこで学ぶかはとても大切な要素に違いありませんが、
受け入れ校が生徒たちの将来を保証したり、決めたりするわけではありません。
中等教育機関への留学で重要なのは、留学生たちが一つひとつ
自らの目標を達成していくことです。
その目標とは、生活英語をマスターすること、友達を作ること、
そして学業生活の安定などとなることでしょう。
それらの目標に対して、具体的な期限があり、そのために
実行すべき日々の決まりごとまでを細かく定める必要はありません。
達成の過程にあるすべての要素が、留学生の長い人生の基本を
作っていくと私は信じています。
「なぜ」という疑問を自ら発し、それに答えを見出す。
つぎに、どうしたら達成できるかと思考錯誤を繰り返す。
もちろん、失敗もたくさんありますし、思った通りに進まないことなど、
日常茶飯事でしょう。
しかしながら、そのような自分の状況に対して、先生やスタッフが
留学生に張り付いて、導いてくれるわけでは到底ありません。
彼らは、その年齢や人生経験にかかわらず、与えられた環境と時間で、
自ら答えを見出していかなければなりません。
このチャレンジの精神こそ、現代の教育に求められるべき要素ではないかと
私は信じています。
学ぶということは、与えられるということではないと思います。
獲得するという機会と手段に満ち溢れているのが、現代ですが、
豊富な選択肢をどのように抜き出して、答えを作っていくか、
そこには当然、それを選択する人の個性が反映されます。
社会に出てから、人々が経験することを、留学は学生時代に
生徒たちに体験させてくれる好機を与えてくれると思います。