体験格差って本当にある? ボーディングスクールの受験考察
このブログをカナダトロントの移動中の飛行機の中で書いています。
空港には日本から海外へ渡航をする子どもたちで溢れ、トロント便もその手続きのために大幅に遅れての出発となりました。
コロナで一度はその流れが途絶えた留学の勢いは最盛期の活気を完全に取り戻している様に感じる賑わいでした。これは留学が一時的なトレンドではなく、継続的に子供達に経験させる必要のある学習の一環であるという認識が広く定着しているということになるかと思います。
この件について深掘りするのはまた別の機会として、今回は巷でよく目にすることのある、体験格差なるものに焦点を当てみましょう。
特に親御さんも子供達も他のご家族や子供たちが夏休み中に体験、経験したことについて何かと比較をしてしまう機会の多い夏休みの時期だからこそ、子供たちの「体験格差」について、この夏休み中に帰国した生徒たちや親御さんとの交流を通して感じたことを書いてみたいと思います。
まず、前提の一つとして、ボーディングスクールの世界において、競争力の高い学校への受験をするにあたってそのためのテクニック的なものが世の中に出回っています。これは特にアジア圏において「お受験」的な考え方をオリジナルとして発生し、広く出回る傾向があると感じます。SSATなどの対策に余念なく、万全な体制を敷くのもアジア圏の生徒たちであることは周知の事実でしょう。
当然のことながら、ボーディングスクールの評価基準はテストのスコアにとどまらず、多角的に評価されるため、「これをやることが、この学校へ受かるための近道」という情報があれば、それに倣って、子どもたちに同じ様な経験をさせることで評価を上げたいという要望が出てくるのは自然のことかも知れません。
しかしながら、この金太郎飴的な受験コンテンツはあっという間に世の中に広がり、専門的に言えばコモディティ化してしまいます、貴重な経験であるはずの経験がいつしか「対策のための経験」として広く知られることになります。本来の貴重な経験が、一般的なものとなり、希少性が薄まる事で、その体験自体の価値が下がる事になります。当然のことながら多くの生徒たちを見ているアドミッションもこのトレンドは把握をしています。
ただ、これらの経験を全否定してしまうと、本質を見失ってしまいます。
はい、すみません。頭の中が「???」かもしれませんね。
結局どっちなの?というお話をします。
「体験」この言葉、この事象自体には、私個人の考えを言えば何の意味も持たないと考えています。
ここからが、このブログで伝えたいことの本質です。「体験」は体験だけで終わっては何の評価にもならないだけでなく、本人にとっての学びや気づきも最小限となってしまい、「体験」がその子の人生に与えるポジティブな影響もその賞味期限は短くなります。
要するに評価されるのは経験ではありません。経験から何を学んだのか?それが自分のアイデンティティにどの様な影響を与えているのか?そこまでしっかりと落とし込むことで初めて、経験が評価となるのです。これにパッションが加わると鬼に金棒です。
私の生徒たちも留学を通していろいろな経験をしてきました。
私は、彼らとの対話の中で「〇〇をやった」「〇〇に参加した」だけの報告以上のものを引き出す様にしています。これを引き出すためには、子供の感受性、特性を理解した緻密なコンサルティングと、将来のゴール設定の緻密な戦略が必要になりますが、ここがうまく組み合わさった時に生徒たちの心のトリガーが引かれると、タガが外れた様に生徒たちは自ら話してくれる様になります。
その瞬間を引き出すことこそが、コンサルタントのスキルの見せ所ですが、このプロセス無くして、どんな体験もアプリケーションの枠を埋める以上の意味は残念ながら持たないと言っても過言ではありません。
極論を言えば、経験はなんでも良いのです。はたから見たら壮大な経験よりも、親子のほんの日常の中での会話、先生からのちょっとしたアドバイスの方が深く長い間心の中に残り、人生に深い影響を与えている事は大人の方であれば誰しも知るところでは無いでしょうか。
埋まらない「体験格差」を嘆くよりも、自分の身の回りにあることから学びを得る「感性」を培うことの方が受験準備をする生徒にとってはよっぽど有意義な時間となります。我々には皆平等に1日24時間の時間が与えられています。
ニュートンはリンゴが落ちるのを見て重力の発見をしました。(諸説あり)リンゴを落ちたのを見る体験をどう活かすか?「ただ落ちた」のを見る、これも体験、「どうして落ちたのだろう?」とそこから深掘りするのも体験、同じ体験をした後の受け止め方が肝心なのです。
「経験からの学び」それこそがボーディングスクールのおける競争の原点であり、本質となります。
今日もトロント大学プログラムに参加をする子供達を見ています。同じアクティビティをやっていても心から楽しんでいる子もいれば、下を向いてスマホをいじっている子供もいます。同じ体験でも、その捉え方で体験が貴重な経験になる事もあれば、知らない間に過ぎ去ってしまうただの「時」でもあります。
あなたはどちらを選びますか?
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